次回、「重衡の罪」。更新は8月5日頃になります。 7月 31, 2026 次回更新は、8月5日頃になります。遅れに遅れて、すみません(><)次回も盛沢山な内容となっていますので、もうしばらくお待ちください。m(_ _ )mいつもありがとうございます☆(*^-^*)ブログTOPへ戻る
一の谷の戦い(5)平知章の最期【平維盛まんが34】 8月 31, 2025 一の谷の戦い。大手の大将軍・平知盛が浜に着いたとき、沖へ逃れる為の船はもうなかった。そこへ、児玉党が襲ってくる。知盛の長男・知章は、父だけでも沖へ逃がそうと敵に立ち向かうが… <『平家物語』巻九より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平知章 ・知章の戦い ・知章の最期 ・知盛の懺悔 ・愛馬・井上黒 ・平清宗 ・知章と清宗 ・どうする?重衡 登場人物 平知盛 たいらのとももり 平清盛の四男。 平知章 たいらのともあきら 知盛の長男。 平清宗 たいらのきよむね 平清盛の三男[宗盛]の長男。知章のいとこ。 平知章 一の谷の戦いの漫画5話目は、 再登場、平家のティーンエイジャー・ 平知章 の最期です。 平知章は、知盛の長男。 母は、 治部卿局 。(のちに 四条局 とよばれる) 長男・知章 を一の谷で失い、 夫・知盛 を壇の浦で失い、 さらには、幼いという理由で都に残してきた 次男・知忠 も、のちに挙兵の疑いによる誅殺で失うという (※) 悲劇に見舞われた女性です。 ※『延慶本平家物語』第六末「伊賀大夫知忠被誅事」。知忠は、『尊卑分脈』では知盛の次男。 ですが、治部卿局は、 守貞親王 ( のちの 後高倉院 。 高倉院第2皇子。平家都落ちに同行) の乳母であったため、 平家滅亡後もその地位は健在 で、承久の乱後は、後高倉院の院政下で活躍したといいます。 守貞親王の乳母夫と言えば、『平家物語』巻十一に登場する 持明院基家 (なお、資盛の舅)が有名ですが、知盛と治部卿局夫婦も守貞親王を養育していた為、その縁が功を奏したことになります。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 知章の母・治部卿局は、寛喜3年(1231年)80歳まで生きたそうです。 (『明月記』) この頃には既に、『平家物語』の原態ができつつあったと考えられています。 (仁治元年(1240年)の書状に、「治承物語六巻〈号平家〉此間書写候也」とある(『兵範記』紙背文書)) 『平家物語』で知盛がかっこよく描かれているのは、妻である治部卿局が健在で、夫の勇姿を伝えることができたおかげであるとか… (*^-^*) ※参考文献 日下力氏... 続きを読む >>> »
平重衡の生け捕り!【平維盛まんが35】 1月 07, 2026 一の谷の戦い。西へ西へと逃走する重衡は、追走する梶原軍に馬を射られてしまう。代わりの馬を差し出すべき従者にも裏切られ、逃げ場のなくなった重衡は、自害しようとするが… <『平家物語』巻九、巻十より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平敦盛の最期 ・一の谷合戦、総括 ・戦場の全てをみた重衡 ・盛長の裏切り ・自害を試みる重衡 ・重衡の生捕と梶原景時 ・重衡の和平の提案 ・和平交渉のゆくえ 登場人物 平重衡 たいらのしげひら 平清盛の五男。 平敦盛の最期 超有名公達の最期がまさかのナレで申し訳ありませんっ (><) (いきなり、お詫び) 『覚一本平家物語』の「敦盛最期」は、現中2国語の教科書にも載っているほどメジャーで、既に素晴らしいコンテンツが世にたくさんありますので、 この記事では、 『延慶本平家物語』の敦盛がかっこいい 、というお話をしたいと思います。 (^^) ▼延慶本の、熊谷直実と敦盛の戦闘シーン! 馬の足立つほどになりければ、弓矢をなげすてて、太刀を抜きて額にあてて、をめいてはせあがりたり。(中略)上になり下になり、三はなれ四はなれくみたりけれども、つひに熊谷上になりぬ。 (熊谷に声をかけられ、汀に戻ってきた敦盛が) 馬の足が立つほどになったので、 弓矢を投げ捨てて、太刀を抜いて額にあてて、大声をあげて駆けあがった 。(熊谷と組みあって)上になり下になり、三離れ、四離れして組みあったけれど、しまいに熊谷が上になった。 『延慶本平家物語』第五本 「敦盛討たれ給ふ事、付けたり敦盛の八嶋へ送る事」 「弓矢を投げ捨てて」 「太刀を抜いて額にあてて、おめいて馳せ上がり」… なんだか、少年漫画の主人公みたいでかっこいいですね! (・∀・) 覚一本の儚く討たれた敦盛とはちょっとイメージが違います。 延慶本の敦盛が強いのは、「忠度の最期」と同様に、「敦盛の最期」がもともとは熊谷直実の武勲譚(+発心譚)だったからであろうと考えられています。 「兵衛佐殿の仰せに、『能き敵... 続きを読む >>> »
平家首渡しと小宰相身投【平維盛まんが36】平家物語の作者は誰? 4月 17, 2026 寿永3年2月13日、源範頼・義経からの要望により、一の谷の戦いで討たれた平家10名の首渡しが行われる。九条兼実ら公卿の反対を押し切っての強行だった。 屋島へ向かう舟の上、夫・通盛の帰りを待っていた小宰相は…… 『玉葉』寿永3年2月13日条、『平家物語』巻九より 漫画はえこぶんこが脚色しています ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平家の首、大路渡し ・通盛の愛、維盛の愛 ・通盛と小宰相 ・小宰相の入水 ・忠快 ・忠快と行盛 ・忠快と平家物語 ・勧修寺流藤原氏と平家物語 ・平家物語作者は誰か? 登場人物 平通盛 たいらのみちもり 平教盛[清盛の弟]の長男。 小宰相 こざいしょう 通盛の妻。 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 平家の首、大路渡し 寿永3年2月13日、一の谷の戦いで討ちとられた平家10名の首が、都大路を渡されました。 ■ 首の大路渡し(首渡し) とは… 首に赤い名札を付けて、長刀や鉾に刺し(または取り付けて)掲げながら、見せしめのために都大路を行進すること ひど……っ!!! (;゚Д゚) 人の心とかないんか…? (TーT) 『玉葉』によれば、 首渡しの実行を強く主張したのは、 範頼 と 義経 です。 九郎義経、加羽範頼等申云、被渡義仲首、不被渡平氏首条、太無其謂、何故被優平氏哉之由、殊鬱申云々 九郎義経、加羽(蒲)範頼が言うには、「義仲の首が渡されたのに、平氏の首が渡されないのは、まったくその理由がありません。なぜ平氏を優遇されるのですか、とくにそれを憂いております」 『玉葉』寿永3年2月10日条 一方、 経宗 (左大臣) ・ 兼実 (右大臣) ・ 実定 (内大臣) ・ 忠親 (権大納言) ら公卿は、平家の首渡しに反対していました。 院伝奏・藤原定長 を通じて、院から首渡しについての是非を問われた 兼実 は、こう答えています。 論其罪科、与義仲不斉、又為帝外戚等、其身或昇卿相、或為近臣、雖被遂伐、被渡首之条、可謂不義、近則信頼卿頸所不渡也、加之、神璽宝剣猶在残之賊手、無為帰来之条、第一之大事也、若被渡此首者、彼賊等弥令励怨心歟、仍旁不可被渡其首 「その罪科を論じるに、義仲と平氏は... 続きを読む >>> »
大宰府落ち(前編)【平維盛まんが22】|緒方惟義との折衝 『平家物語』 1月 25, 2023 豊後の知行国主・藤原頼輔が大宰府の平家追討に動き出す。かつて小松家に従っていた緒方惟義を宥めるため、資盛と貞能は、豊後に向かうのだったが… <『平家物語(覚一本)』巻八/『平家物語(延慶本)』巻四より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平家追討に動く藤原頼輔 ・緒方惟義 ・豊後へ向かう資盛 ・資盛が豊後で投降した説? ・交渉のゆくえ ・大宰府の危機 登場人物 平資盛 たいらのすけもり 平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。 平貞能 たいらのさだよし 小松家の家人。資盛の乳母夫とも。 平家追討に動く藤原頼輔 藤原頼輔 (頼資)は、藤原師実の子[忠教]の子。 『蹴鞠口伝集』 を著した蹴鞠の名人としても有名です。 『平家物語』では、豊後の知行国主である 頼輔 が、その子で国守である 頼経 (※) に、大宰府の平家追討を命じ、 頼経はこの命令を豊後の豪族・ 緒方惟義 に伝えたといいます。 (※実際には、寿永二年の時点では豊後守は、頼輔の孫の宗長) ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 頼輔は、院近臣として後白河院に仕えていたので、 この 平家追討命令を、後白河院も承知しているのか が重要な問題になってきます。 『平家物語』諸本の表現を見てみましょう。 ■覚一本『平家物語』 (惟義が) 国司の仰せを院宣と号して 、九州二島にめぐらしぶみをしければ、しかるべき兵ども惟義に従ひつく 覚一本『平家物語』巻八「緒環」 緒方惟義が 国司の命令を院宣だと称して 兵を集めたという表現。 院は関係ない? ■屋代本『平家物語』 (頼経の言葉) 「於于当国ハ不可随。一味同心シテ可追出平家。是 頼輔カ非下知、一院ノ勅定ナリ 」 屋代本『平家物語』巻八「豊後住人緒方三郎惟義事」 頼経の言葉に 「これは父・頼輔の下知にあらず、 一院(後白河院)の勅諚 である 」 とあります。 やっぱり院関係ある? ■延慶本『平家物語』 (頼経の言葉) 「是全非私下知併 一院々宣也 、凡不可限当国、九国二島輩顧後勘身をまたくせんと思はむ者は一味同心而可追出九国... 続きを読む >>> »
一の谷の戦い(2)平通盛の最期【平維盛まんが31】 5月 31, 2024 一の谷の戦い。平通盛・教経たち門脇家が護る山の手にも、源氏軍の襲撃が。山の手を破られた平家は、福原を護りきれず、海へと敗走しはじめる。湊川に沿って落ちていく通盛。敵に追いつかれるも、通盛は毅然と戦うのだったが…。 <『延慶本平家物語』第五本、『源平盛衰記』巻三十七より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平通盛 ・通盛と小宰相の恋 ・通盛の正妻 ・鵯越えの坂落とし? ・通盛の最期 ・通盛の首 ・通盛の遺言 ・平業盛の最期 登場人物 平通盛 たいらのみちもり 平教盛[清盛の弟]の長男。 平教経 たいらののりつね 平教盛[清盛の弟]の次男。通盛の弟。 平業盛 たいらのなりもり 教経・通盛の弟。 平通盛 さて、一の谷の戦いの漫画2話目は、少し時間を遡って、前夜の 平通盛 と 小宰相 のお話から。 平通盛 は、 平教盛 (清盛の弟)の長男。 『平家物語』の影響で、弟の 教経 の方が剛毅なイメージで有名ですが、 実際には、 兄の 通盛 の方がはるかに多くの戦場に出陣 しており、彼も武勇の人なのです。 (富士川を除く、ほぼ全部の戦いに大将軍として参戦。 出陣回数はトップクラス ) →くわしくはこちらの記事 近江の戦い 、 墨俣川の戦い 、 倶利伽羅峠の戦い 、 水島の戦い 、 『平家物語』によれば、 通盛 は、2月6日の夜(一の谷の戦いの前夜)、最愛の妻・ 小宰相 を山の手の陣に呼び寄せていました。 この夜、二人だけの空間で何を語り合っていたのかは(すごく大事な話なのですが)、『平家物語』では、この時点では明かされません。 後に、通盛の討死を知った後で、小宰相自身の口から語らせるという神脚本(…いや、鬼脚本か?)なので、漫画もその意図を汲みました。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ さて、戦の陣にもかかわらず、 悠長に名残を惜しむ通盛と小宰相に対して、弟・教経が苦言を呈する有名な場面があります。 この場面、『源平盛衰記』では、 教経が、二人の逢瀬に気を使って、 宵の口に突撃するのをちょっと遠慮した 描写があります。 何も会夜の度毎に、昵言尽ぬ中なれば、短き春の夜の... 続きを読む >>> »
一の谷の戦い(3)平業盛、平師盛の最期【平維盛まんが32】 9月 15, 2024 一の谷の戦い。小松家五男・平師盛が、船で落ち延びようとしているところに、知盛の侍が「私も乗せてください」と言ってきた。船はもうすでに定員だったが、仲間を見捨てられない師盛は、彼を助けようと舟を寄せる。通盛の弟・平業盛は、敵と組み合っているうちに、古井戸の中へ落ちてしまい… <『延慶本平家物語』第五本、『源平盛衰記』巻三十七より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平業盛 ・平業盛の最期 ・平師盛 ・手勢がいなかった師盛 ・師盛の苦悩 ・「後に人に問へ」といったのは ・師盛の最期 ・師盛の子 登場人物 平業盛 たいらのなりもり 平教盛[清盛の弟]の息。通盛、教経の弟。 平師盛 たいらのもろもり 平重盛[清盛の長男]の五男。維盛、資盛の弟。 平業盛 さて、一の谷の戦い3話目は、 門脇家・小松家の ティーンエイジャー 、 平業盛 と 平師盛 の最期です。 二人とも世間一般での知名度はそれほど高くありませんが、 平家の公達としての矜持を持って、若くして散っていったその姿には、ズーンと胸に迫るものがあります。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 平業盛 は、教盛の子で、通盛の弟。 (『平家物語』では末子とする) 兄である 通盛 ・ 教経 に負けず、 業盛 も、なかなかの剛の者として描かれていますが、 その容姿は、 薄化粧で細眉の貴公子 だったそうです。 (「四部合戦状本」「長門本」) 内甲を見入れたれば、薄気装して細き眉を作られけり。「咹はや、平家の君達よ」と思ひて、 甲の内側をのぞき込んだところ、(業盛は)薄化粧をして細い眉を作られていた。 「ああ、平家の公達だ」と思って、 『四部合戦状本平家物語』巻九「業盛最期」 ギャップがいいですね。 (^^) 業盛の最期 覚一本では、業盛の最期は、一行であっさり語られるだけなのですが、 読み本系の「延慶本」「長門本」『源平盛衰記』などには、敵との激しいバトルシーンがあります。 ▼以下、『源平盛衰記』のストーリー 味方に離れてしまった業盛が、渚に立ち尽くしていたところ、源氏方の常陸国住人・ 泥屋四郎吉安 と出会い、組み合... 続きを読む >>> »
一の谷の戦い(4)平忠度、平経正の最期【平維盛まんが33】 4月 10, 2025 平忠度が守備していた西の木戸口・一の谷は、義経軍の攻撃によって陥落。武蔵国住人・岡部六弥太と組み合った忠度は、相手に重症を負わせるまで追い詰めるも、六弥太の郎等に右腕を斬り落とされてしまう。敵に追いかけられた平経正は、逃げきろうとするが… <『平家物語』巻九、『源平盛衰記』巻三十六より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・真・一の谷の戦い ・平忠度 ・味方と言ったのは… ・忠度の最期 ・花や今宵のあるじならまし ・平経正 ・逃ぐるにはあらず ・経正の最期 ・経正と仁和寺 ・『経正集』『忠度集』と平家の歌人たち 登場人物 平忠度 たいらのただのり 平忠盛の六男。清盛の弟。 平経正 たいらのつねまさ 平経盛[清盛の弟]の長男。 真・一の谷の戦い 今回は、 平家を代表する歌人 である、 平忠度 と 平経正 の最期です。 年齢も、 忠度は41 (『源平盛衰記』による※) 経正も30代半ば~後半 あたりと推定され (※) 若い公達とはまた違う、大人ならではの魅力があります。 (^^) ※忠度の生年…未詳。『源平盛衰記』巻三十七の「薩摩守忠度は生年四十一」が唯一の記述。 ※経正の生年…未詳。経盛(1124生)の長男であること、・承安5年(1172)に既に五位、・嘉応元年(1169)に、延暦寺大衆の蜂起に対して宮中警備にあたっていること、などから、1145〜1150年くらいに推定される。(参考:安田元久氏『平家の群像』塙書房、1967年) ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 忠度 は、 西の木戸口である 一の谷 の大将軍でした。 (『平家物語』巻九) 前々回 の記事にあったように、一般的に 「一の谷の戦い」 といえば、 生田の森~福原~山の手(鵯越え)~一の谷という広域の戦場 を指す総称になっていますが、 忠度が護っていたのが、 地名どおりの「一の谷」(須磨) です。 前々々回 の記事にあったように、東の木戸口である「生田の森」自体は落ちておらず、 山の手(鵯越え)からの奇襲が勝敗を決... 続きを読む >>> »
一の谷の戦い(1)生田の森の攻防!【平維盛まんが30】|『平家物語』 3月 04, 2024 寿永3年2月7日、摂津国生田の森で、源範頼率いる追討使と、平知盛・重衡率いる平家軍が激突。平家の堅固な護りに苦戦する追討使の梶原軍。その時、重衡が見たものは… <『延慶本平家物語』第五本より> 次回に続きます! ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・生田の森の防衛線 ・梶原景時、バリケードを破る ・梶原親子vs平知盛・重衡 ・箙の桜(梅) ・梶原の二度の懸 ・平家は弱くない? 登場人物 平知盛 たいらのとももり 平清盛の四男。 平知章 たいらのともあきら 知盛の長男。 平重衡 たいらのしげひら 平清盛の五男。 生田の森の防衛線 寿永3年2月7日。夜明けと同時に、 源範頼 率いる追討軍と、 平知盛 ・ 平知章 ・ 平重衡 率いる平家軍が、 摂津国 生田の森 で衝突しました。 生田の森の戦いの序盤はバリケード戦で、 平家側は、 堀や逆茂木 (※) で山陽道を遮断 し、 源氏軍の福原への進軍を防ぎました。 (※逆茂木(さかもぎ)…枯れ木のとんがった方を敵側に向けて並べたもの。有刺鉄線のような役割をし、枝が刺さるので騎馬は容易に越えられない。) 神戸の地形は、山が海までかなり迫っていますので、こうしたバリケードを横に長く敷けば、敵の進軍を完全に防ぐことができたのですね。 『延慶本平家物語』には、その様子が描かれています。 平家は摂津国生田森を一の木戸口として堀をほり逆木を引、東には堀に橋を引き渡して口一つあけたり、北の山より際までは垣楯かいて矢間をあけて待ち係たり。 【訳】 平家は摂津国生田森を一の木戸口として、 堀をほり逆木(逆茂木)を引き 、東には堀に橋を引き渡して、一箇所だけ通れるようにし、 北の山際まで垣楯を並べて、矢間(矢を放つための隙間)をあけて待ちうけていた。 (『延慶本平家物語』第五本 「源氏三草山并一谷追落事」) これでは騎馬では突破できないし、近づいたら矢で攻撃されるし、 少人数で突撃しても、矢の雨を浴びて全滅するだけです。 この状況をみて、源氏の大手の大将軍・ 源範頼 は、配下にこう命じます。 「大勢待付... 続きを読む >>> »
平家都落ち! 後編(維盛と新大納言)【平維盛まんが18】 『平家物語』 9月 09, 2022 妻子を残して都を落ちる維盛。最愛の妻に願ったことは… <『平家物語』巻七/『源平盛衰記』巻三十一より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・建春門院新大納言 ・新大納言の再婚相手は ・もう一人の妻? ・迎えにくる弟たち ・六代御前 登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 建春門院新大納言 けんしゅんもんいんしんだいなごん 維盛の正妻。藤原成親の娘。 六代御前 ろくだいごぜん 維盛の長男。 建春門院新大納言 維盛の正妻は、 建春門院新大納言局 。 父は 藤原成親 。母は 藤原俊成の娘・京極局 。 かつて、 建春門院(平滋子) に仕えていたので、こう呼ばれます。 (大納言という呼び名は、父・成親の官職に由来するといいます。) 同じく建春門院に仕えていた 健寿御前 (=藤原定家の同母姉) は、その日記 『健寿御前日記』(通称『たまきはる』) に、 新大納言 成親の大納言別当といひしむすめ。この京極殿の腹なり。十二、三にて召されて二、三年ぞさぶらはれし。御所ちかきつぼね給はりて、かぎりなくもてなさせ給ひき。 と記しています。 新大納言は、建春門院には重用されて厚遇を得ていたようですね。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『平家物語』によれば、二人が結婚したのは、維盛が十五、新大納言が十三の時。 以前の記事 にもあったように、父の藤原成親と小松家とは、ガッツリ姻戚関係で結ばれていますので、新大納言と維盛もおそらく政略結婚だったように思われるのですが、 「延慶本」「長門本」などの読み本系『平家物語』には、 維盛と新大納言のピュアな恋物語 が挟まれています。 この恋物語がちょっと面白い内容なので、簡単に紹介します。 新大納言が建春門院に仕えていた頃、美しい彼女のことを見染めた後白河院は、自分の後宮に入れようとする。しかし、新大納言は頑なに拒否。 それでは院に対する不敬になると怒った父成親は新大納言を勘当する。 新大納言に仕える女房が、彼女に訳を聞く... 続きを読む >>> »
大宰府、月夜の歌会!【平維盛まんが21】 平行盛と平家の歌人たち 『平家物語』 11月 28, 2022 大宰府で見上げる、九月十三夜の月。都を思い出し、 平家の歌人たちは歌を詠む…。 今回は和歌のお話(^^) <『平家物語』巻八より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・平家、大宰府に入る ・重衡の和歌 ・月夜の歌会 ・平行盛 ・行盛と藤原定家 ・大宰府は安住の地となるのか 登場人物 平資盛 たいらのすけもり 平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。 平行盛 たいらのゆきもり 平清盛の次男[基盛(=重盛の同母弟)]の長男。維盛・資盛のいとこ。 平家、大宰府に入る 寿永2年8月26日、平家は九州に入り、 大宰権少弐・ 原田種直 の宿所を、天皇の御在所としました。 原田種直は、清盛・頼盛の元で、平家の鎮西支配、日宋貿易を支えてきた人物です。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『平家物語』では、平家一行は 宇佐八幡宮 にも参詣していて、そこで宗盛が夢の中で、神に見限られる不吉な託宣を聞く、という場面があります。 九州に着いた矢先に、平家の先行きを曇らせるような不穏な演出です。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『平家物語』は、平家の九州入りを心細げな様子で描くのですが、 同じ頃の『玉葉』寿永2年9月5日条では、 平家党類、余勢全不滅、四国、並淡路、安芸、周防、長門、幷鎮西諸国、一同与力了 とあり、 都では、西国における平家の勢いは衰えていないという見方がされていたことがわかります。 重衡の和歌 『平家物語』には、 安楽寺 (現在の大宰府天満宮) に、連歌を奉納したという逸話があります。 この時 重衡 が詠んだとされる和歌は、前左近中将重衡として 『玉葉和歌集』 に入集しています。 すみなれし ふるき都の 恋しさは 神もむかしに 思ひ知るらん 【訳】 住み馴れた都の恋しさは、神様(菅原道真)もご存じのことでしょう (神仏習合の時代なので、安楽寺は寺ですが神と呼ばれています。) ※この和歌、延慶本・長門本では経盛の作とし、源平盛衰記では経正の作となっています。 (平家物語諸本の異同で、... 続きを読む >>> »