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富士川の戦い 中編【平維盛まんが 8】 なぜ維盛が大将軍?『山槐記』『玉葉』『吉記』

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治承四年十月、駿河国に着いた維盛たちの追討使。そこで待ち受けていた現実は… <『玉葉』治承4年11月5日条・『山槐記』治承4年11月6日条・『吉記』治承4年11月2日条より>  ※漫画はえこぶんこが脚色しています。    ◆解説目次◆ ・登場人物 ・鉢田の戦い ・追討使と駆武者 ・なぜ、維盛が大将軍だったのか 登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 藤原忠清(伊藤忠清) ふじわらのただきよ(いとうただきよ) 小松家家人。維盛の乳母夫(めのとふ)。 鉢田の戦い 「富士川の戦い」 というと、治承寿永の内乱における最初の平家vs源氏の全面衝突であり、維盛vs頼朝の戦いというイメージがありがちです。 けれども、実際の富士川の戦いは、少し事情が違ったようです。 富士川の戦いの前哨戦とも言えるのが、 駿河目代・ 橘遠茂 と 甲斐源氏( 武田信義 ) が戦った 「鉢田の戦い」 です。 駿河国は 平宗盛 の知行国であり、目代・橘遠茂は駿河国の武士団を統率していました。 維盛たちの追討使が駿河に着く直前に、橘遠茂は二千騎を率いて甲斐に進軍。 10月14日、武田信義らの甲斐源氏と戦いました。 以仁王の乱の時もそうであったように、 維盛率いる正式な追討使が到着する前に、家人の軍が勝利への道筋をつけておく… そういう算段もあったようです。 ところが、橘遠茂は大敗。これは追討使にとって大きな誤算となりました。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ また、東国の平家方、石橋山で頼朝を破った相模の 大庭景親 、伊豆の 伊東祐親 らの勢力はまだ健在でした。 彼らは維盛たちの追討使に合流しようと進軍を試みましたが、駿河国の周りは既に源氏によって抑えられていたため合流するすべがなく、大庭景親は退散し、伊東祐親も生け捕られてしまいます。 アテにしていた東国の平家方の勢力が壊滅してしまったことで、結局、維盛たちの追討使は、単独で戦いに挑まなければならなくなったのです。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ なお、この時、維盛たちが対峙していたのは、甲斐源氏の武田信義です。『吾妻鏡』『平家物語』では、頼朝と連携しているように描かれる甲斐源氏ですが、厳密には、それぞれは独立した勢力で、頼朝はこの成り行きを見守っていたにすぎないと考えられて
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