平家首渡しと小宰相の入水【平維盛まんが36】平家物語の作者は誰?


寿永3年2月13日、源範頼・義経からの要望により、一の谷の戦いで討たれた平家10名の首渡しが行われる。九条兼実ら公卿の反対を押し切っての強行だった。 
屋島へ向かう舟の上、夫・通盛の帰りを待っていた小宰相は……

『玉葉』寿永3年2月13日条、『平家物語』巻九より


漫画はえこぶんこが脚色しています

◆解説目次◆ ・登場人物
・平家の首、大路渡し
・通盛の愛、維盛の愛
・通盛と小宰相
・小宰相の入水
・忠快 
・忠快と行盛 
・忠快と平家物語 
・勧修寺流藤原氏と平家物語 
・平家物語作者は誰か?

登場人物

平通盛 たいらのみちもり
平教盛[清盛の弟]の長男。

小宰相 こざいしょう
通盛の妻。

平維盛 たいらのこれもり
平清盛の長男[重盛]の長男。

平家の首、大路渡し

寿永3年2月13日、一の谷の戦いで討ちとられた平家10名の首が、都大路を渡されました。

首の大路渡し(首渡し)とは…
首に赤い名札を付けて、長刀や鉾に刺し(または取り付けて)掲げながら、見せしめのために都大路を行進すること

ひど……っ!!!
(;゚Д゚)

人の心とかないんか…?
(TーT)


『玉葉』によれば、首渡しの実行を強く主張したのは、範頼義経です。

九郎義経、加羽範頼等申云、被渡義仲首、不被渡平氏首条、太無其謂、何故被優平氏哉之由、殊鬱申云々

九郎義経、加羽(蒲)範頼が言うには、「義仲の首が渡されたのに、平氏の首が渡されないのは、まったくその理由がありません。なぜ平氏を優遇されるのですか、とくにそれを憂いております」
『玉葉』寿永3年2月10日条


一方、経宗(左大臣)兼実(右大臣)実定(内大臣)忠親(権大納言)ら公卿は、平家の首渡しに反対していました。

院伝奏・藤原定長を通じて、院から首渡しについての是非を問われた兼実は、こう答えています。

論其罪科、与義仲不斉、又為帝外戚等、其身或昇卿相、或為近臣、雖被遂伐、被渡首之条、可謂不義、近則信頼卿頸所不渡也、加之、神璽宝剣猶在残之賊手、無為帰来之条、第一之大事也、若被渡此首者、彼賊等弥令励怨心歟、仍旁不可被渡其首

「その罪科を論じるに、義仲と平氏は同じではありません。
また、平氏は帝の外戚として、その身は或いは卿相に昇り、或いは近臣となりました。征伐を遂げられたといっても、
首を渡すことは不義というべきであり、近くは(平治の乱の)信頼卿の首も渡しませんでした。
これに加え、神璽宝剣(三種の神器)がまだ平氏の手にあり、無事に神器が帰ることが第一の大事です。もしこの
首が渡されれば、平氏はますます怨心をつのらせるでしょう。よって、首を渡すべきではありません。」
『玉葉』寿永3年2月10日条

首渡しに反対するのは神器奪還の為だとしつつも、平家に対する「不義」だと言ってくれているのは、ありがたいですね。
(:;)


なお、同じく首渡しに反対していた、左大臣・藤原経宗権大納言・藤原(中山)忠親(=『山槐記』著者)は、いわゆる親平家公卿でした。

経宗は、重盛の七男(宗実)を養子にしていますし、
新人公卿である重盛や宗盛に、儀式の作法を教えてあげていたといいます。

忠親は、徳子の中宮権大夫、安徳天皇の東宮大夫を務め、
忠親もまた、経盛や重衡に儀式の作法を教えていたそうです。
(※参考 松薗斎氏「武家平氏の公卿化について」『九州史学』118・119号 1997年)

彼らにとって平家は見知らぬ他人ではなかったので、そんな残酷な仕打ちは忍びない、という心情もあったことでしょう。

※ただし経宗は、後白河院の意向を汲んだためか、一の谷合戦前、福原攻めには賛成していました。(こちらの記事)



ところが結局、範頼と義経の主張に公卿や後白河院も押し切られ、
2月13日、首渡しが実行されます。

兼実は、日記『玉葉』のなかで、従三位で公卿だった通盛の首まで渡されてしまったことについて、特に憤っています。

公卿頸不可被渡之由、雖有其議、武士猶欝申云々、如何、通盛卿首同被渡了、可弾指之世也、

公卿の首は渡されるべきではないという議論があったが、武士(範頼・義経)がやはり納得しなかったという。どうしたらよいのか。通盛卿の首も渡されてしまった。弾指すべき世である。
『玉葉』寿永3年2月13日条

兼実様、怒ってくれてありがとうございます………。
(T-T)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ちなみに『平家物語』や『吾妻鏡』では、
義経と範頼が平家の首渡しにこだわったのは、
平治の乱で討たれた父・義朝の恥を雪ぐ為、だったということになっています。

範頼、義経かさねて奏聞しけるは、「保元の昔を思へば祖父為義があだ、平治のいにしへを案ずれば父義朝がかたきなり。君の御憤をやすめ奉り、父祖の恥をきよめんがために命を捨てて朝敵をほろぼす。今度平氏の頸共大路をわたされずは、自今以後なんのいさみあッてか凶賊をしりぞけんや

範頼・義経が重ねて奏上していうには、
「保元の昔を思えば祖父為義の仇であり、平治の昔を考えれば、父義朝の敵です。君(後白河院)の御憤りをおしずめ申し、父祖の恥を雪ぐために、命を捨てて戦い朝敵を滅ぼしているのです。今度平氏の首を大路に渡さないのならば、以後なんの励みがあって凶賊を討伐することができましょうか。
『覚一本平家物語』巻十「首渡」

ただ、平治の乱は20年以上も前の話。
しかも範頼は不参加、義経は赤子で記憶すらないはずのことの報復に、乱とは関係ない次世代の平家の若者を梟首して溜飲を下げるというのは…

ちょっと言いがかりがすぎませんか?
(ーー;)
と思いますよね。

実際これを言ったかはわかりません。(『玉葉』にはありません)

やはり、範頼と義経が首渡しにこだわった理由は、「平家=朝敵」を自分たちが官軍として征伐した、という構図を作りたかったところにあるのでしょう。

※参考文献 高橋秀樹氏 『玉葉精読』 和泉書院 2013年
田辺旬氏『戦死者たちの源平合戦』吉川弘文館 2023年



通盛の愛、維盛の愛


場面変わって、屋島へ向かう平家の船の上。
夫・通盛の帰りを待つ小宰相のもとへ、訃報がとどきます。

※実際には、福原→屋島へは船ならすぐに着くはずなのですが、『平家物語』では七日かかったことになっています。(初七日、に意味があるらしい。)漫画ではその日付に従っています。

一の谷合戦前夜、通盛と小宰相の最後の逢瀬こちらの記事)
…で語り合った内容が、ようやくここで回想として明かされます。

※『平家物語』では、小宰相が乳母(延慶本では乳母子)に対して語っているのですが、漫画では独白にしています。


▼小宰相の回想の中の、通盛のセリフ
我いかになりなむ後、いかなる有りさま有らむずらむと思ふも心苦し。世の習ひなれば、さてしもあらじ。いかなる人に見えむずらむと、それも心うし。

通盛から小宰相へのセリフ
「私が死んだ後、あなたがどのような境遇になっているだろうと思うと心配です。世の習いだから、そのままでは(ひとりでは)いられないでしょう。(でも、)
あなたがどのような人と再婚するのだろうと思うと、それも辛い。」

『延慶本平家物語』

通盛は、自分の死後、
小宰相が生活の為に再婚しなければならないであろうことは認めつつも、「それも辛い」と正直に言ってしまっていますね。

通盛様…せつない……
(ノД`)



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

さてここで、思い出されるのは、都落ちの時の維盛です。こちらの記事)

維盛は、連れて行ってほしいとすがる妻・新大納言に対し、
「自分が死んだら、他の誰かと再婚してくれ」
とあえて突き放すような言葉を言い残して、都を落ちました。

通盛と真逆のセリフですね。
(@-@)


『平家物語』(延慶本など)は、小宰相の訃報を聞いた維盛
「賢くぞ此人を留置てける。我も引き具したりせば終にはかかる事にこそあらまし」

(維盛の独り言)
「自分は、妻を都に留め置いてきてよかった。もし自分も妻を連れてきていたならば、このような目(後追い自殺)に遭わせていたかもしれない」
『延慶本平家物語』

というセリフを言わせていますので、明らかに、維盛と通盛を対比させているのですね。


維盛の言っていることは正しいのですが、理性的すぎて、冷たく感じてしまうかもしれません。
やっぱり妻として、女性として、言われたら嬉しいのは通盛の方ですよね。
「本当は、君を誰にも渡したくない」って…。
(*´艸`)



でも……

のちに、新大納言は気づいたでしょう。
維盛が遺した言葉の、「本当のやさしさ」に。

世の中が落ち着いて、新大納言が再婚しようかとなったときに、
若くして非業の最期を遂げた前夫のことを思わないわけがないんですよ。

そんなとき、きっとあの時の維盛の言葉が、妻の罪悪感を軽減させてくれたことでしょう。
だって維盛は、「再婚してもいいよ」ではなく「再婚してくれ」といったのですから。

……維盛様!!!
(TーT)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

さて。

通盛の愛、維盛の愛。
どちらが正しかったのでしょうか……?

そんなの。

答えなんて、ないですよね!!!
どちらも愛なのです!!!
(T△T)

こんな究極の哲学みたいなのをぶっこんでくる『平家物語』は、やっぱりすごいですね。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ただ、通盛は一応、小宰相の再婚を認める発言もしています。

「何なる人に見えたまふとも、吾な忘るな」

(通盛のセリフ)
「どんな人と再婚したとしても、私のことは忘れないで」
(『源平闘諍録』巻八之下「小宰相局、身を投げらるる事」


…私のことわすれないで、って未練タラタラですけども。
(ーー;)

(でも、そこがいい、通盛様)



通盛と小宰相


思いつめた様子の通盛に、
小宰相は、実は懐妊していたことを打ち明けます。

(前項の通盛への擁護になりますが、通盛が「誰にも渡したくない」だの「忘れないで」だの言っていたのは、まだ妻の懐妊を知る前なので。すでに二児の父として覚悟がキマッている維盛と比較するのはフェアではないですね ーー;)

小宰相の懐妊を知った時の通盛の反応が

さて幾月ほどになるやらん。心地はいかがあるやらん。いつとなき波の上、舟のうちの住ひなれば、しづかに身々とならん時もいかがはせん。

(通盛のセリフ)
「それで、今何ヶ月ほどになるのか。気分はどうか。いつまでとも知れない波の上、舟の内の生活だから、静かに身二つとなるとき(出産)も、どうしたらいいのだろう」
(『覚一本平家物語』巻九「小宰相身投」)

喜ぶだけじゃなくて、
すぐに妻の体調の方に意識が向いて気遣ってあげる通盛様は、ポイント高いですよね。
(⁎ᵕᴗᵕ⁎)



小宰相の入水


一の谷の戦いの戦場で、通盛は、討たれる直前まで小宰相の無事だけを願っていた、という話は既出の通りです。
こちらの話)

後追いなんて、通盛は望んでいなかったはず………。


なのに、なぜ小宰相は入水を選んでしまったのでしょう。

■小宰相の言葉(平家物語では乳母(乳母子)に語っている)
女は身々となる時、十に九は死ぬるなれば、かくて恥がましき目を見て、ともかくもならむも口惜し。若し此の世を忍び過ぐしてながらへても有らば、心に任せぬ世の習ひなれば、不思議にて思はぬ外の事も有るぞかし。

(小宰相の言葉)
「女は、身二つになる(出産)とき、十に九は死ぬということだから、こうして恥ずかしい目にあって死んでいくのもつらいことです。もし、生きながらえても、思うようにはならない世の習いなので、不本意なこと(他の男との再婚)もあるでしょう。」
『延慶本平家物語』

一つは、どうせ出産時に死ぬかもしれないということ。
さすがに、九割の確率…は言い過ぎですが、当時、出産時に命を落とす女性はかなり多くいました

そして二つ目は、やはり、望まぬ再婚を強いられる懸念。
小宰相は、通盛に愛された自分のままで、今生を終わらせたかったのでしょうか。


延慶本では続けて、こう言っています。
心ならずさる事も有らば、草葉の影にて見む事もはずかしければ、此の世にながらへてもなにかはせむ

(小宰相のセリフ)
「不本意ながらそんな事(再婚)になったら、草葉の影で通盛に逢うのも(通盛に見られるのも)恥ずかしいので、この世に生きながらえてどうなるというのでしょうか」
『延慶本平家物語』


「草葉の影にて見む」には、二通りの解釈があります。

【1】見(る)の主語…小宰相。
  再婚すれば、死後に通盛と再会した時に恥ずかしい
【2】見(る)の主語…通盛。
  再婚したところを、墓下の通盛が見るのも(通盛に見られるのも)恥ずかしいの意

※主語が通盛なら、「見給ふ」とかになりそうですが、この小宰相のセリフ中の通盛の他の動詞も尊敬語になっていませんので、2の解釈も成り立ちます。(『平家物語』新潮日本古典集成、新潮社 注など)


うーん……
もしかして…

通盛の愛が重い?
(ーー;)

前述のように、通盛はちゃんと小宰相の再婚を認めているのですが、
「本当は辛い」と思っていたことを小宰相は無視できなかったのですね。

通盛の深すぎる愛が、小宰相を死に追いやってしまった面はあったのかもしれません。


ただ、悲劇の結末になったとはいえ、
通盛や小宰相を責めるような論調は『平家物語』にはありません。
壮絶な運命に殉じた二人の愛を、ただすごいもの、として描いています。

現世を捨てて愛に殉じた通盛と小宰相、
心を殺して現世での生活を護った維盛と新大納言…。

どちらも愛、究極の哲学ですね。



忠快

僧・忠快が登場しました。

教盛の子通盛の弟
壇の浦まで平家一門と行動を共にしているのですが、

平家滅亡後も処刑されることもなく(四年間の流罪のみ)、鎌倉時代を無事に生き伸びています。

それどころか、
慈円に師事し法印権大僧都まで昇り、比叡山横川の長吏、天台密教小川流の祖となり、
源頼朝にも信頼され鎌倉・京をたびたび往復し、頼朝と慈円との仲介役を務め
源実朝の護持僧として重用され、鶴岡八幡宮北斗堂落慶などの導師を務めた…

という、すごい経歴の持ち主です。

※参考文献 安齋貢氏「忠快小論-頼朝と慈円を繋ぐ人物として-」『日本文学研究』大東文化大学日本文学会43号、2004年
角田文衛氏『平家後抄』朝日選書、朝日新聞社 1981年




(教盛の子・忠快、知盛の子・増盛など、平家の僧が鎌倉で厚遇されており、平家への融和の流れがあったと考えられています。
日下力氏『平家物語の誕生』岩波書店 2001年


忠快と行盛

忠快は歌人でもあり、賀茂重保の私選集『月詣和歌集』に二首、勅撰集『玉葉和歌集』に二首が入集しています。

→『月詣和歌集』については、こちらの記事 大宰府、月夜の歌会!

『玉葉和歌集』には、一の谷合戦直後に交わされたという、忠快平行盛の贈答歌があります。

兄弟に一度に後れて歎き侍けるを、平行盛遅くとぶらひ侍りければ、申遣はしける

 法印忠快
憂き身をば 言問はずとも かゝる世の 悲しき事は 知るや知らずや(2342)
返し
 平行盛
悲しさを よその歎きと 思はねば 人を問ふべき 心地だにせず (2343)

【訳】
兄弟(通盛・業盛)が一度に亡くなって嘆いていたところ、平行盛がなかなか弔問に来なかったので、申し遣わした歌

(忠快)
辛いこの身を問い訪ねなくても、あなたはこの世の悲しいことを知っているのでしょうか、それとも知らないのでしょうか(知っているなら、なぜ訪ねてくださらないのでしょうか) 
返し
(行盛)
あなたの悲しさを他所事とは思っていないので、弔問しようという気分さえしないのですよ

(『玉葉和歌集』巻第十七・雑歌四)

この忠快と行盛の贈答歌は実は出典が不明で(ほとんどの『平家物語』諸本には見えない※1
現代には伝わらなかった物語が当時まであったのだろう、とみられています。※2

※1 忠快と行盛の贈答歌は、『右田毛利家本平家物語』(語り本系の異本)にはあるものの、『玉葉集』との前後関係はわからないようです。
 (早川厚一氏・佐伯真一氏・生形貴重氏校注『四部合戦状本平家物語全注釈』巻九、和泉書院、2006年)

※2 岩佐美代子氏 『玉葉和歌集 全注釈』笠間書院、1996



忠快と『平家物語』


忠快は、壇の浦まで平家一門に同行し、生還した者の一人です。

今回紹介した「通盛と小宰相」のような話が『平家物語』でやたらと詳しく描かれていることに、忠快の語り部としての役割を見出す説もあります。


また忠快は、天台座主・慈円(九条兼実の同母弟で『愚管抄』著者)の愛弟子でしたが、
慈円は、原『平家物語』編纂を支援したという説もある人物です。(『徒然草』)

忠快は、自身の経験談を『平家物語』の素材として提供することができたかもしれないですね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

また、教盛の娘に、平教子がいます。
藤原範季(源範頼を養育した)の正妻で、範季との間に生まれた娘(重子)は後鳥羽天皇に入内し、守成親王(順徳天皇)を産んでいるのです。

平家は滅亡したといわれますが、女系の血は受け継がれていたのですね。



勧修寺流藤原氏と『平家物語』


小宰相の父・藤原憲方母・藤原顕隆女は、ともに勧修寺流藤原氏

実は、冒頭に登場した院伝奏・藤原定長も勧修寺流で、小宰相はいとこにあたります。

また、維盛の妻(新大納言)の再婚相手・藤原(吉田)経房は、定長の兄。つまり、経房も小宰相のいとこになりますね。

(世間が狭い…)(ーー)


勧修寺流藤原氏は、有能な実務官僚を多数輩出した家柄です。
いわゆる「日記(にき)の家」の一つで、摂関家の家司を務め、自身も詳細な日記を記すことで宮中儀式の記録係としての役割を担いました。

これらの日記は、家督を継ぐときに嫡男に相伝されるような「家宝」であり、誰でも読めたわけではありません。
※参考 松薗斉氏『日記の家 中世国家の記録組織』吉川弘文館、1997


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


父祖から受け継いだ日記を保有し、また摂関家にも仕えていた為、貴重な史料群に触れることが可能だった…

という立場から、勧修寺流藤原氏には、『平家物語』の作者と擬される人が複数います。

藤原資経 …『醍醐雑抄』
・藤原時長
 …『尊卑分脈』『醍醐雑抄』
藤原行長 …『徒然草』


▼勧修寺流藤原氏!



【備考】
平家物語の作者を「信濃前司行長」と書いている教科書もあります。
この元ネタは『徒然草』なのですが、行長も勧修寺流藤原氏です。(実際には下野前司)
但し『徒然草』は鎌倉時代末期の作であり、兼好が記した時点で既にそれは伝承の域なので、必ずしも他の説に対して有力とはいえないともみられています。




平家物語の作者は誰か?


平家物語の作者の話が出てきましたので、もう少し補足です。

『平家物語』の作者説として文献に名前が登場するのは、上記の勧修寺流藤原氏の他にも
・信西の子(成範、憲曜など) …『平家勘聞録』
源光行 …『醍醐雑抄』(時長の補助として合戦パートを書いた)
・伊藤景清・平時忠・菅原為長・玄恵法印…『臥雲日件録』
などがあります。


ただ『平家物語』は、そのスケールからして、個人の営為で生まれたようなものではなく、ある程度組織的に編纂され、管理されていたと考えられています。

執筆者に比定されているのは、前述の勧修寺流藤原氏のような中流貴族ですが、
企画者・支援者・管理者として考えられているのは、大寺院とそれに連なる文化圏です。

天台圏…比叡山延暦寺(※慈円周辺)
真言圏…醍醐寺紀州根来寺 など

『平家物語』に唱導的な内容が多いことにも関係するでしょう。

※参考文献 麻原美子氏『平家物語世界の創成』勉誠出版、2014
武久堅氏『平家物語への羅針盤』関西学院大学出版会、2022
平野さつき氏「平家物語と作者伝承」『平家物語の成立』有精堂出版、1993


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

また、『平家物語』には、八十種類以上の異本があります。

成立当初の原『平家物語』は、もっとシンプルなものだったとみられていますが、
(『治承物語』というタイトルの六巻本だっという可能性(『兵範記』紙背文書))

それが、現在伝わる形になるまでに、アンソロジー的に多数の物語・伝承が加えられて成長していったと考えられています。


コピー機もない時代ですので、誤写レベルの異同はどの古典文学にもありますが、
『平家物語』に関しては異質で、

同じ『平家物語』というタイトルでありながら、まったく別の物語かというくらい内容が違う箇所もよくあるのです。
なかには、『源平盛衰記』『源平闘諍録』のようにタイトルすら違う異本もあります。

各編集者たちによる、積極的な改編の意思が感じられるのですね。


生き物のように変化し成長する文学の集合体…
それが『平家物語』
ともいえます。


こうみてくると、「作者は誰か?」という問い自体が成り立たなくなってきますね。
候補として名前があがっている人物の他にも、たくさんの無名の作者・改編者たちがいた、ということになります。
(⁎ᵕᴗᵕ⁎)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

次回は再び、京の重衡です!




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※出典・参考文献/『玉葉』国書刊行会/『吾妻鏡』新訂増補国史大系、吉川弘文館/早川厚一氏・佐伯真一氏・生形貴重氏校注『四部合戦状本平家物語全釈』和泉書院/福田豊彦氏・服部幸造氏『源平闘諍録全注釈』講談社/『長門本平家物語』国書刊行会/『延慶本平家物語全注釈』汲古書院/『屋代本高野本対照平家物語』新典社/『源平盛衰記』中世の文学、三弥井書店/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語』新編日本古典文学全集、小学館/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語研究事典』明治書院/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/ →その他参考文献、発行年等詳細はこちら

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