福原落ち 前編 (宗盛と維盛)【平維盛まんが19】 『平家物語』


都落ちの行幸に追いついた小松家。平家一門とともに福原へと向かうが…。

<『平家物語』巻七/より>

平宗盛と平知盛、平家物語
平宗盛と維盛、平家物語、六田河原
平宗盛と維盛と資盛、平家物語、六田河原
『平家物語』の漫画、福原落ち 平宗盛と平維盛と平資盛、淀での再会
『平家物語』の漫画、福原落ち 平維盛と六代御前
平資盛と平有盛、平家物語
『平家物語』の漫画、福原落ち 後白河院、後白河法皇

※漫画はえこぶんこが脚色しています。

◆解説目次◆ ・登場人物
・宗盛と維盛
・後白河院からの手助け?
・義仲、行家の入京

登場人物

平維盛 たいらのこれもり
平清盛の長男[重盛]の長男。

平資盛 たいらのすけもり
平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。

平宗盛 たいらのむねもり
平清盛の三男。平家の総帥。

平知盛 たいらのとももり
平清盛の四男。


宗盛と維盛

『平家物語』では、遅れて都を出た小松家は、淀の六田河原(読み本系では関戸院)で、平家の行幸に追いついたとされています。

このときの、宗盛と維盛の対面の場面が、諸本によって少しずつ違って面白いので紹介します。


■まずは 覚一本『平家物語』から
大臣殿待ちうけ奉り、うれしげにて、
「いかにや、今まで」
と宣へば、三位中将、
「をさなき者共が、あまりにしたひ候を、とかうしらへおかんと遅参仕り候ひぬ」
と申されければ、大臣殿、
「などや心強う六代殿をば具し奉り給はぬぞ」
と仰せられければ、維盛卿、
「いくすゑとてもたのもしうも候はず」
とて、問ふにつらさの涙をながされるこそかなしけれ。

【訳】
大臣殿(宗盛)は、待ち受けて、嬉しそうに
「今までどうしていたのか」
と言われると、三位中将(維盛)は、
「幼い子供たちが、あまりに慕いますので、なだめすかしているうちに遅れてしまいました」
と申されたので、大臣殿は、
「どうして心強くも六代殿をお連れにならないのか」
と言われた。維盛卿は、
「この先も頼もしくは思われません」
といって、辛さがまさり、涙を流されたのは悲しいことであった。
(覚一本『平家物語』巻七「一門都落」)


■次に、延慶本『平家物語』

さるほどに、大臣殿盛次を召て、権亮三位中将殿は何にと問給ければ、小松殿の公達も未だ一所もみへさせた給はずと申ければ、さこそ有むすらめとて、よに心細けにおほして、御涙の落けるををしのこひ給を人々見給て鎧の袖をそぬらされける。
新中納言宣けるは、是日来皆思儲たりし事也、今更驚へきにあらず、都を出て未だ一日をだにもすきぬに、人の心も皆替りぬ

(中略)
さるほどに、権亮三位中将惟盛新三位中将資盛左中将清経已下兄弟五六人引具て淀羽束六田川原を打過ぎて關戸の院の程にて追付給へり、

(中略)
大臣殿此人々を見付給ひて、すこし力を付たる心地し給て、今まて見へさせ給さりつれば、おぼつかなかりつるに、うれしくもと宣ければ、
三位中将は、少き者共のしたひ候つるを誘置候つるほとに今までとて、御涙の落をさなきやおうにまきらかされる有様、哀にぞ見へける、大臣殿又いかに具し奉り給はぬぞ、留置奉りては心苦しくこそおはせむする、いかにしてかはすきあはるべきと宣ければ、行先とても恃しくも候はずとて、問につらさといとゞ涙をそ流れける


【訳】
大臣殿(宗盛)は、盛次(越中次郎盛嗣)を呼んで、
「権亮三位中将(維盛)はどうしたのだ」
と問われたので、
「小松殿の公達も未だ一人も来られません」
と答えた。
宗盛は、
「(維盛も、頼盛のように裏切ると思っていたが)そうであったか」
と、心細げに言って、涙を落した。人々もこれを見て鎧の袖を濡らした。
新中納言(知盛)が言うには、
「日頃から、そう思っていたことなので、今更驚くことでもありません。都を出てまだ一日も過ぎていないのに、人の心も変わってしまった。」

(中略)

そうしているうちに、権亮三位中将維盛、新三位中将資盛、左中将清経、以下兄弟五六人引き連れて、淀、羽束、六田河原を過ぎて、関戸院あたりで、行幸に追いついた。
大臣殿は、この人々を見つけて、少し力を取り戻した心地がして、
「今までどうしていたのか。気掛かりだったが、嬉しく思う。」
と言われると、三位中将(維盛)は、
「幼い子供たちが、あまりに慕いますので、なだめすかしているうちに遅れてしまいました」
と申されたので、大臣殿は、
「どうして六代殿をお連れにならないのか。都に留め置くのは心苦しいだろう」
と言われた。
維盛は、
「この先も頼もしくは思われません」
といって、辛さがまさり、涙を流されたのは悲しいことであった。
(延慶本『平家物語』廿六「頼盛道寄り返給事」)


「延慶本」では、小松家が合流する前に、宗盛と知盛の会話の中ではっきりと、裏切りを疑われている描写がありますね。

実際、資盛には頼盛と共に後白河院のもとへ帰降する意思があったので(『愚管抄』)、完全な濡れ衣というわけでもないのですが、

『平家物語』の中の小松家は、そこまでの行動はしていません。

それでもやはり、「頼盛のように裏切る可能性がある」不穏分子だという風には、宗盛から認識されていた描写があるのですね。


◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆


この場面、さらっと読めば、維盛の合流に宗盛が喜び、妻子との別れの話に涙するという「いい話だな~」って感じなんですが、

深読みすると、宗盛と維盛、それぞれセリフに含んだものがあるようにも見えてきて面白いです。

宗盛の「どうして六代を連れてこなかったのか」には、
嫡子を連れてこない維盛の覚悟を疑うニュアンスがありますし、


最後の維盛の一言「いくすゑとてもたのもしうも候はず」は、

一見、維盛らしい悲哀を感じさせる言葉なんですが、
受け取りようによっては、
これから西国で頑張っていこうかという平家一門に冷や水を浴びせるような発言でもあります。
それを総帥である宗盛に面と向かって言うのは………

このセリフは維盛から宗盛への精一杯の抵抗であるという捉え方もあって(※)
深読みすると緊張感がある場面にも見えてきますね。

※板坂燿子氏『平家物語』(中公新書)中央公論社

◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆

平清経と有盛、維盛と宗盛

後白河院からの手助け?

都を落ちて福原へ向かう平家は、途中、源(多田)行綱が制圧している摂津を通過しなくてはいけませんでした。

そうです。
行綱は、直前の7月22日の時点では、資盛が、後白河院からの宣旨で討伐するはずだった相手です。
(くわしくはこちらの記事)

平家の行幸と、行綱の軍が鉢合わせて戦闘になることもあり得ましたが、そうはなりませんでした。

実はこの時、後白河院から行綱に、
「平家の行幸には手を出すな」という宣旨が出ていたのです。(『玉葉』寿永2年7月26日条)

まるで後白河院が平家を手助けしたような形なので、「おっ」と思ってしまいますが、
別にそういう話でもなく、直後の7月28日には、後白河院から木曽義仲・源行家に対し平家追討の院宣が出ています。
(あ…そうなの)

平家はもはや追討対象なんですが、
とはいっても、院にとっての最重要課題は、やはり平家が連れ出した安徳天皇と三種の神器の奪還。
まずは武力よりも交渉による神器返還の可能性を優先に考えたようです。

こうして平家一行は、さしたる妨害を受けることもなく、無事に福原の旧都にたどり着くことができたのでした。


義仲・行家の入京

都を出た平家と入れ替わりに、木曽義仲・源行家が入京しました。
7月28日には、義仲・行家に対し平家追討の院宣が出されます。

都落ちを境に、官軍・賊軍が、本当に一瞬で入れ替わったんですね。


平通盛と平資盛『平家物語』


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


福原の旧都に着いた平家一門は、さらに西へ。
後白河院と平家の、神器をめぐる駆け引きが始まります。


次回「福原落ち(後編)」
更新は、10月末~11月初め頃の予定です。



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※参考文献/『玉葉』国書刊行会/『平家物語』新編古典文学全集、小学館/『延慶本平家物語』勉誠社/『源平盛衰記』芸林舎/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』岩波書店 / 永井晋氏『平氏が語る源平争乱』吉川弘文館/角田文衛氏『平家後抄』朝日新聞社

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