福原落ち(後編) 平家一斉解官!【平維盛まんが20】 『平家物語』『玉葉』『吉記』


福原の旧都に入った平家。後白河院と平家の、神器をめぐる攻防がはじまる。

<『平家物語』巻七/『玉葉』『吉記』より> 
平家物語の福原、平宗盛の演説
平時忠と後白河法皇
平貞能
平貞能と平資盛、平家物語
平時忠と宗盛、資盛、平家物語、玉葉
平資盛と平貞能『平家物語』『玉葉』
平資盛と平貞能『平家物語』『玉葉』
平清経と平有盛、能「清経」の元ネタ
平清経と平有盛、能「清経」

※漫画はえこぶんこが脚色しています。  

◆解説目次◆ ・登場人物
・宗盛の演説
・平家一斉解官
・神器返還交渉
・平家没官領
・後鳥羽天皇
・清経と妻
 

登場人物

平資盛 たいらのすけもり
平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。

平清経 たいらのきよつね
平清盛の長男[重盛]の三男。維盛の弟。

平貞能 たいらのさだよし
小松家家人。資盛の乳母夫とも。

平宗盛 たいらのむねもり
平清盛の三男。平家の総帥。

宗盛の演説

都を落ちた平家は、福原の旧都に入りました。

宗盛は、平家の家人たちを一堂に集め、今の平家の状況を語り、変わらぬ忠誠を促す演説を行います。

この宗盛の演説がすごくかっこいいので、『平家物語』原文をどうぞ。

(宗盛の言葉)
「積善の余慶家につき、積悪の余殃身に及ぶゆゑに、神明にもはなたれ奉り、君にも捨てられ参らせて、帝都を出て旅泊にただよふ上は、なんのたのみかあるべきなれども、一樹の陰に宿るも、先世の契あさからず。同じ流をむすぶも多生の縁猶ふかし。

いかに況や、汝等は一旦したがひつく門客にあらず、累祖相伝の家人なり。或は近親のよしみ他に異なるもあり、或るは重代芳恩是ふかきもあり。家門繁昌の古は、恩波によッて私をかへりみき。今なんぞ芳恩をむくひざらんや。

且つうは十善帝王、三種の神器を帯してわたらせ給へば、いかならむ野のすゑ、山の奥までも、行幸の御供仕らんとは思はずや。」



【訳】
「積み重ねた善行の余慶も尽き、悪行の報いが今平家に及んでいる為に、神にも見放され、法皇にも捨てられて、帝都を出て漂白の旅にさまよっている以上、なんの頼みがあるわけではないが、一樹の陰に宿るのも、先世からの宿縁も浅くなく、同じ流れの水を手で掬って飲むのも、前生からの宿縁が深いという。

ましてやお前たちは、一時的に家来となった者ではなく、累代相伝の家人である。あるいは近親者として誼が特に深い者もあり、あるいは代々の恩義が深い者もある。平家が繁栄した昔は、その恩恵を受けて生計を立ててきた。今どうして、その恩に報いないことがあろうか

その上、十善帝王が三種の神器を帯していらっしゃるのだから、どのような野の末、山の奥までも御供いたそうとは思わないか

『平家物語』巻七「福原落」 

かっこいいですね!

『平家物語』の中で宗盛は、優柔不断だったり怯懦だったりと、マイナスイメージで描かれることも多いのですが、この場面の宗盛には、平家の総帥に相応しい威厳があります。

「平家について来て、都を出てきてしまったけれど、これからどうなるんだろう」
と不安もあったに違いない家人たちは、宗盛の毅然とした言葉に勇気づけられたことでしょう。

なお、宗盛の演説の中の一説「積善の余慶家につき、積悪の余殃身に及ぶ」は、
巻二「小教訓」で重盛が清盛を諫めて言った積善の家に余慶あり、積悪の門に余殃とどまる」を受けた表現になっています。

重盛が危惧した未来が、今現実となってしまったという因果を感じる一文ですね。
重盛のセリフを宗盛が引き継いでいるところもいいですね。


平家一斉解官


寿永2年8月6日、平家一門と関係者・二百余人が、一斉に解官されました。(『玉葉』)

但し、平時忠は官職を留め置かれました。
神器返還交渉の正式な窓口としての役割を求められたからです。
(朝廷側としては、無官の相手と交渉はできない為)

軍事貴族である平家(伊勢平氏)と、文官の家系である堂上平氏の扱いの差が、ここでも現れていますね。

尚、宗盛に対する処分は、解官よりも厳しい除名で、従一位という位階そのものを剥奪するという厳しいものでした。


三種の神器と和平交渉

後白河院は、まずは武力による追討よりも、交渉による神器返還の可能性を優先させました。

都落ち直後の7月30日には、後白河院から時忠に対し、神器返還を求める院宣が出されていましたが、(『吉記』寿永3年7月30日条)

8月10日の夜になって、備前国児島の時忠から都に返信が届きます。
その内容は、

京中落居之後、可有還幸、剣璽已下宝物等事、可被仰前内府歟云々

都が落ち着いたら、帝はお戻りになるだろう。三種の神器のことは、前内府(宗盛)に仰せられるべきだ。
『玉葉』寿永二年八月十二日条


前半部分は、義仲・行家軍の都からの退去を要求するものであり、後半部分は、宗盛の除名処分に対する抗議となっています。

九条兼実も「事体頗似有嘲哢之気との感想を持つほど、その文面は強気なものだったようです。

交渉の余地もない、と思われたのか、結局、
8月16日には、時忠の権大納言の官職も剥奪されてしまいます。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

尚この時、資盛の家人である平貞能にも、内々に神器返還を求める要請が伝えられていました。(『吉記』寿永3年7月30日条)

これに対して貞能は、
能様可計沙汰云々。
よいように計らいましょう
『玉葉』寿永二年八月十二日条

と答え、前向きな姿勢を示したようですが、
結局は平家首脳陣を動かすことまではできなかったようです。


貞能は、都落ち直前、資盛とともに後白河院の親衛軍のような位置にいたのですが、この段階でも、交渉の仲介を期待されるほどには、信頼を置かれていたのですね。


なお、三種の神器を返還するだけでは、平家に何のメリットもないので、
貞能の行動には、
「神器返還を条件に、院の仲介のもとで義仲・行家軍と平家との和平を成立させる」という意図があったと考えられます。

和平交渉へ向けた貞能(と資盛)の奮闘は、九州に入ってからも続くのです。

※参考文献:川合康氏「治承・寿永内乱期における和平の動向と『平家物語』」『文化現象としての源平盛衰記』笠間書院


平家没官領


8月20日には、平家の没官領500余所のうち、140ヵ所が義仲に、90ヵ所が行家に与えられました。
あれだけ栄えた平家でしたが、失うときは一瞬ですね。

(但し、西国の平家の実効支配は続いていました)


それにしても、
平家がそこまで悪いことをしたとは思えないのです。
(T-T)

平家は、あくまでも朝廷・院を支える軍事貴族として、王朝の枠組みの中で繁栄しました。
(朝廷と乖離した独自の政権を作ろうとしたわけではない)

治承寿永の内乱の火種としては、もともと地方の在地勢力の中で燻っていた、中央政府に対する不満や鬱憤の矛先が、ちょうどその頃一気に知行国や荘園を増やした平家に向けられてしまった、という面もあります。
平家は火中の栗を拾って、どさくさに滅ぼされた感もあるのですよね……。


後鳥羽天皇


平家との神器返還交渉を見切った後白河院は、
8月20日、神器のないまま、高倉院第四皇子・尊成親王の践祚を実行します。(後鳥羽天皇

これから約二年間、京の後鳥羽天皇と、西国の安徳天皇、二人の天皇が存在することになります。




清経と妻


覚一本にはないのですが、延慶本などの読み本系『平家物語』には、小松家三男・清経が、都に残した妻に髪を送るエピソードがあります。
これは、世阿弥作の能『清経』の元ネタにもなりました。

能では、清経の入水後に、従者が遺髪を妻の元に届けたことになっていますが、
『平家物語』では、清経が生前みずから髪を切って、贈っています

ところが、清経の妻は、逢えない夫を思い出すのがかえって辛くなって、この髪を清経のもとに送り返しちゃうんですね。
読み本系『平家物語』では、妻に髪を返されたショックも、清経の入水の一因にもなっていたりします。(かわいそう)

覚一本『平家物語』では、これらの一連の逸話はカットされ、
「もとより何事も思ひいれたる人(もともと何でも思いつめる性格)」だった清経が、平家の行く末を悲観した結果の入水となっています。
(くわしくは、後日、清経入水の回で)


余談ですが、この時代、男子は基本髪を結っていますので、ここぞとばかりに、髪フェチ管理人の作画に気合が入っています。
(^^;)

平清経、平有盛、平教経、平重衡、平家物語


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

都落ちから一ヶ月後の8月26日、平家は九州に入り、大宰府を拠点として体制の立て直しを図ります。
次回、平行盛登場です。


……え?
維盛が1コマも出ていない?
暫くは、資盛と貞能のターンです☆

次回更新は、11月末~12月初め頃の予定です。



▼シェア
 





※参考文献/『玉葉』国書刊行会/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語』新編日本古典文学全集、小学館/『延慶本平家物語』勉誠社/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』『都鄙大乱』岩波書店 / 永井晋氏『平氏が語る源平争乱』吉川弘文館/ →発行年等、参考文献の詳細はこちら

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
【おすすめ記事】

維盛中宮権亮 維盛右京大夫集 富士川の戦い 倶利伽羅峠 平家山門連署 京都防衛戦線 資盛の都落ち 維盛の都落ち
【記事一覧】他のお話はこちらからどうぞ!

【平維盛の生涯】
■1【一四歳】武器は作法と己の美貌!|玉葉
■2【一八歳】美しすぎる青海波舞!|平家物語
■3【一九歳】唯一の弱点?|建礼門院右京大夫集
■4【二一歳】無文の太刀と重盛の病|平家物語
■5【二一歳】熊野詣と重盛の他界|平家物語
■6【二二歳】以仁王の挙兵|玉葉
■7【二二歳】富士川の戦い-前|山槐記・玉葉
■8【二二歳】富士川の戦い-中|山槐記・玉葉
■9【二二歳】富士川の戦い-後|山槐記・玉葉
■10【二二歳】近江の戦い|玉葉
■11【二三歳】墨俣川の戦い|玉葉・吉記
■12【二五歳】倶利伽羅峠の戦い-前|平家物語
■13【二五歳】倶利伽羅峠の戦い-後|源平盛衰記
■14【二五歳】篠原の戦いと山門連署|平家物語
■15【二五歳】最後の京都防衛戦線|吉記
■16【二五歳】都落ち[資盛と後白河院]|愚管抄
■17【二五歳】都落ち[忠清と貞能]|平家物語
■18【二五歳】都落ち[維盛と新大納言]|平家物語
■19【二五歳】福原落ち-前編|平家物語
■20【二五歳】福原落ち-後編|平家物語
■21【二五歳】大宰府、月夜の歌会|平家物語
■22【二五歳】大宰府落ち-前編|平家物語
■23【二五歳】大宰府落ち-後編|平家物語
■24【二五歳】貞能の離脱|吾妻鏡
■25【二五歳】水島の戦い|源平盛衰記
■26【二六歳】木曽義仲との和平交渉|玉葉
■27【二六歳】福原奪還と維盛の病|平家物語
■28【二六歳】三草山の戦い-前編|平家物語
■29【二六歳】三草山の戦い-後編|平家物語
■30【二六歳】一の谷の戦い(1)|平家物語



このブログの人気の投稿

水島の戦い!【平維盛まんが 25】『平家物語』『源平盛衰記』

平貞能の離脱と、資盛の手紙【平維盛まんが 24】『玉葉』『吾妻鏡』『平家物語』

福原奪還と維盛の病【平維盛まんが27】| 『平家物語』『源平盛衰記』

木曽義仲との和平交渉!【平維盛まんが26】|『玉葉』『吉記』 『平家物語』

三草山の戦い!(前編)【平維盛まんが28】|『平家物語』『吾妻鏡』

三草山の戦い!(後編)【平維盛まんが29】|『平家物語』『吾妻鏡』

一の谷の戦い(1)生田の森の攻防!【平維盛まんが30】|『平家物語』

大宰府落ち(後編) 平清経の入水【平維盛まんが23】 『平家物語』

平家都落ち! 後編(維盛と新大納言)【平維盛まんが18】 『平家物語』

平家都落ち! 前編(資盛と後白河院)【平維盛まんが 16】『愚管抄』