福原落ち(後編) 平家一斉解官!【平維盛まんが20】 『平家物語』『玉葉』『吉記』
福原の旧都に入った平家。後白河院と平家の、神器をめぐる攻防がはじまる。
<『平家物語』巻七/『玉葉』『吉記』より>
※漫画はえこぶんこが脚色しています。
登場人物
平資盛 たいらのすけもり
平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。
平清経 たいらのきよつね
平清盛の長男[重盛]の三男。維盛の弟。
平貞能 たいらのさだよし
小松家家人。資盛の乳母夫とも。
平宗盛 たいらのむねもり
平清盛の三男。平家の総帥。
宗盛の演説
都を落ちた平家は、福原の旧都に入りました。
宗盛は、平家の家人たちを一堂に集め、今の平家の状況を語り、変わらぬ忠誠を促す演説を行います。
この宗盛の演説がすごくかっこいいので、『平家物語』原文をどうぞ。
かっこいいですね!
『平家物語』の中で宗盛は、優柔不断だったり怯懦だったりと、マイナスイメージで描かれることも多いのですが、この場面の宗盛には、平家の総帥に相応しい威厳があります。
「平家について来て、都を出てきてしまったけれど、これからどうなるんだろう」
と不安もあったに違いない家人たちは、宗盛の毅然とした言葉に勇気づけられたことでしょう。
なお、宗盛の演説の中の一説「積善の余慶家につき、積悪の余殃身に及ぶ」は、
巻二「小教訓」で重盛が清盛を諫めて言った「積善の家に余慶あり、積悪の門に余殃とどまる」(※)を受けた表現になっています。
※元ネタは『易経』文言伝
重盛が危惧した未来が、今現実となってしまったという因果を感じる一文ですね。
重盛のセリフを宗盛が引き継いでいるところもいいですね。
平家一斉解官
寿永2年8月6日、平家一門と関係者・二百余人が、一斉に解官されました。(『玉葉』)
但し、平時忠は官職を留め置かれました。
神器返還交渉の正式な窓口としての役割を求められたからです。
(朝廷側としては、無官の相手と交渉はできない為)
軍事貴族である平家(伊勢平氏)と、もとから文官の家系である堂上平氏の扱いの差が、ここでも現れていますね。
尚、宗盛に対する処分は、解官よりも厳しい除名で、従一位という位階そのものを剥奪するという厳しいものでした。
三種の神器と和平交渉
後白河院は、まずは武力による追討よりも、交渉による神器返還の可能性を優先させました。
都落ち直後の7月30日には、後白河院から時忠に対し、神器返還を求める院宣が出されていましたが、(『吉記』寿永3年7月30日条)
8月10日の夜になって、備前国児島の時忠から都に返信が届きます。
その内容は、
前半部分は、義仲・行家軍の都からの退去を要求するものであり、後半部分は、宗盛の除名処分に対する抗議となっています。
九条兼実も「事体頗似有嘲哢之気」との感想を持つほど、その文面は強気なものだったようです。
交渉の余地もない、と思われたのか、結局、
8月16日には、時忠の権大納言の官職も剥奪されてしまいます。
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これに対して貞能は、
と答え、前向きな姿勢を示したようですが、
結局は平家首脳陣を動かすことまではできなかったようです。
貞能は、都落ち直前、資盛とともに後白河院の親衛軍のような位置にいたのですが、この段階でも、交渉の仲介を期待されるほどには、信頼を置かれていたのですね。
なお、三種の神器を返還するだけでは、平家に何のメリットもないので、
貞能の行動には、
「神器返還を条件に、院の仲介のもとで義仲・行家軍と平家との和平を成立させる」という意図があったと考えられます。
和平交渉へ向けた貞能(と資盛)の奮闘は、九州に入ってからも続くのです。
※参考文献:川合康氏「治承・寿永内乱期における和平の動向と『平家物語』」『文化現象としての源平盛衰記』笠間書院
平家没官領
8月20日には、平家の没官領500余所のうち、140ヵ所が義仲に、90ヵ所が行家に与えられました。
あれだけ栄えた平家でしたが、失うときは一瞬ですね。
(但し、西国の平家の実効支配は続いていました)
それにしても、
平家がそこまで悪いことをしたとは思えないのです。
(T-T)
平家は、あくまでも朝廷・院を支える軍事貴族として、王朝の枠組みの中で繁栄しました。
(朝廷と乖離した独自の政権を作ろうとしたわけではない)
治承寿永の内乱の火種としては、もともと地方の在地勢力の中で燻っていた、中央政府に対する不満や鬱憤の矛先が、治承三年の政変によって一気に知行国や荘園を増やした平家に向けられてしまった、という面もあります。
平家は火中の栗を拾って、滅ぼされてしまった感もあるのですよね……。
後鳥羽天皇
平家との神器返還交渉を見切った後白河院は、
8月20日、神器のないまま、高倉院第四皇子・尊成親王の践祚を実行します。(後鳥羽天皇)
これから約二年間、京の後鳥羽天皇と、西国の安徳天皇、二人の天皇が存在することになります。
清経と妻
覚一本にはないのですが、延慶本などの読み本系『平家物語』には、小松家三男・清経が、都に残した妻に髪を送るエピソードがあります。
これは、世阿弥作の能『清経』の元ネタにもなりました。
能では、清経の入水後に、従者が遺髪を妻の元に届けたことになっていますが、
『平家物語』では、清経が生前みずから髪を切って、贈っています。
ところが、清経の妻は、逢えない夫を思い出すのがかえって辛くなって、この髪を清経のもとに送り返しちゃうんですね。
読み本系『平家物語』では、妻に髪を返されたショックも、清経の入水の一因にもなっていたりします。(かわいそう)
覚一本『平家物語』では、これらの一連の逸話はカットされ、
「もとより何事も思ひいれたる人(もともと何でも思いつめる性格)」だった清経が、平家の行く末を悲観した結果の入水となっています。
(くわしくは、後日、清経入水の回で)
余談ですが、この時代、男子は基本髪を結っていますので、ここぞとばかりに、髪フェチ管理人の作画に気合が入っています。
(^^;)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
都落ちから一ヶ月後の8月26日、平家は九州に入り、大宰府を拠点として体制の立て直しを図ります。
次回、平行盛登場です。
……え?
維盛が1コマも出ていない?
暫くは、資盛と貞能のターンです☆
次回更新は、11月末~12月初め頃の予定です。
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