富士川の戦い 後編【平維盛まんが 9】 水鳥の話は史実?『山槐記』『玉葉』『吉記』


強敵を前に内部から瓦解する追討使。維盛の決断は…

<『玉葉』治承4年11月5日条・『山槐記』治承4年11月6日条・『吉記』治承4年11月2日条より> 
※漫画はえこぶんこが脚色しています。  

◆解説目次◆・登場人物
・開戦派だった維盛
・清盛の怒り
・…で、水鳥は飛んだの?

登場人物

平維盛 たいらのこれもり
平清盛の長男[重盛]の長男。

藤原忠清(伊藤忠清) ふじわらのただきよ(いとうただきよ)
小松家家人。維盛の乳母夫(めのとふ)。

開戦派だった維盛

早速ですが、『玉葉』治承4年11月5日条を見てみましょう。

於維盛者、敢無可引退之心云々、而忠清立次第之理、再三教訓、士卒之輩、多以同之、仍不能黙止」
(維盛は決して撤退するつもりはなかったが、忠清が事情を説明し、再三説得し、将兵たちの多くもこれに同意した為、撤退を受け容れざるを得なかった。)
『玉葉』治承4年11月5日条

『玉葉』によれば維盛は、ギリギリまで、あくまでも戦うつもりだったらしい。

意外じゃないですか?
勝算がない戦いに挑むことが正解だとは思いませんが、
(なので、個人的には忠清に同意しますが)

ただ、あまりにも「水鳥にビビッて逃げた弱腰」のイメージが定着しているので、これはもっと知られててもいんじゃないかと思う。

維盛は弱腰じゃないぜ!



清盛の怒り

とはいえ、敗けは敗け。
総責任者の維盛が責めを免れることはできません。

富士川から逃げ帰った維盛に対し、清盛がブチ切れて罵倒するのは有名な場面です。
(ほんとに、維盛ってこんなのばっかりが有名で気の毒です)

では、再び『玉葉』より、清盛の怒りの言葉をどうぞ。
承追討使之日、奉命於君了、縦雖曝骸於敵軍、豈為恥哉、未聞承追討使之勇士、徒赴帰路事、若入京洛、誰人可合眼哉、不覚之恥貶家、尾籠之名留世
(追討使を承った日に、命はすでに天皇に奉っている。敵軍の前に骸をさらそうとも、どうして恥となるだろうか。追討使の勇士が徒に帰路に赴いたことなどいまだ聞いたことがない。京に入っても誰が目を合わせるか。不覚の恥は家を貶め、尾籠の名が世に留まるだろう。)
『玉葉』治承4年11月5日条

うーん、ものすごくお怒りです。

いやでも、待って。

維盛は実より名を取ろうとしたよね?
でも忠清以下の配下が止めたんだよね?

それなのに責められるのは大将軍!
嗚呼、中間管理職‼
(T△T)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

それにしても清盛の怒りは、だいぶ衝動的な怒りです。

圧倒的戦力差を解っていながら開戦すれば、追討使は壊滅し、維盛や郎党たちは無駄に散ることになります。

そもそも当初、小松家だけの戦力で十分と見積もっていた時点で、状況を見誤っていたとも言えるでしょう。清盛が当初に予想していたよりも遥かに、東国の勢いがすごかったという話です。

というわけで、維盛や忠清を責めてもしょうがないことは清盛もわかってはいたと思いますが、それはそれとして…

遷都計画は迷走するし反乱は相次ぐし、思うようにいかない情勢に更に追い打ちをかけるこの敗報は、清盛にとって強烈な地雷となったようです。



…で、水鳥は飛んだの?

漫画にも少し描きましたが、あの有名な富士川の水鳥の話はどっから出てきてん。
という話。

『平家物語』に出てくる「水鳥の羽音を敵襲と勘違いして逃げた」という有名話(↓これ)

今まで見てきたように、撤退の主な要因は別のところにあるのですが、では、まったくの『平家物語』の創作なのかというと、そうでもありません。
『山槐記』に水鳥の話が書かれているからです。

宿傍池鳥数萬俄飛去、其羽音也雷、官兵皆疑軍兵之奇来夜中引退」
(宿の傍らの池で、鳥が数万にわかに飛び去り、その羽音は雷のように鳴り、官軍の兵はみな軍兵の奇襲を疑って、夜中に撤退した。)
『山槐記』治承4年11月6日条

『山槐記』によれば、水鳥の羽音にそこまで騒然となった理由は、内部の裏切りにより退路を断たれることを恐れ、奇襲を警戒していた為だったと考えられます。
また、『吉記』に見える、手越宿での出火騒ぎは、追討使に従軍していた坂東武者による放火だったとのこと。

追討使の撤退には、随分混乱があったことがわかります。
所詮は駆武者の寄せ集めであり、また遠征道中の国々が必ずしも平家に協力的ではない中で、もはや内部も疑心暗鬼で、誰も信用できない状況だったことが伺えます。

富士川の戦いは、維盛個人の弱さというよりも、軍制の弱さを露呈した結果となりました。
平家物語の平維盛と平資盛イラスト


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

次回、平家が本気出す。
近江の戦い【治承四年 維盛二十二歳】



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