平家都落ち! 後編(維盛と新大納言)【平維盛まんが18】 『平家物語』

 妻子を残して都を落ちる維盛。最愛の妻に願ったことは…

<『平家物語』巻七/『源平盛衰記』巻三十一より>

平家物語平維盛の都落ち、新大納言局
平家物語平維盛の都落ち、新大納言局
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『平家物語』巻七 平維盛と新大納言局 都落ち
平家物語の六代御前と夜叉御前と平維盛
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平家物語巻七維盛の都落ち、六代御前と平資盛
『平家物語』巻七 維盛の都落ち 新大納言局
平維盛と平資盛

※漫画はえこぶんこが脚色しています。

◆解説目次◆ ・登場人物
・建春門院新大納言
・新大納言の再婚相手は
・維盛の側室
・迎えにくる弟たち
・六代御前

登場人物

平維盛 たいらのこれもり
平清盛の長男[重盛]の長男。

建春門院新大納言 けんしゅんもんいんしんだいなごん
維盛の正妻。藤原成親の娘。

六代御前 ろくだいごぜん
維盛の長男。


建春門院新大納言局

維盛の正妻は、建春門院新大納言局
父は藤原成親。母は藤原俊成の娘・京極局

かつて、建春門院(平滋子)に仕えていたので、こう呼ばれます。
(大納言という呼び名は、父・成親の官職に由来するといいます。)

同じく建春門院に仕えていた健寿御前(=藤原定家の同母姉)は、その日記『健寿御前日記』(通称『たまきはる』)に、

新大納言
成親の大納言別当といひしむすめ。この京極殿の腹なり。十二、三にて召されて二、三年ぞさぶらはれし。御所ちかきつぼね給はりて、かぎりなくもてなさせ給ひき。

と記しています。
新大納言局は、建春門院には重用されて厚遇を得ていたようですね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『平家物語』によれば、二人が結婚したのは、維盛が十五、新大納言が十三の時。

以前の記事にもあったように、父の藤原成親と小松家とは、ガッツリ姻戚関係で結ばれていますので、新大納言と維盛もおそらく政略結婚だったように思われるのですが、

「延慶本」「長門本」などの読み本系『平家物語』には、維盛と新大納言局のピュアな恋物語が挟まれています。

この恋物語がちょっと面白い内容なので、簡単に紹介します。


新大納言局が建春門院に仕えていた頃、美しい彼女のことを見染めた後白河院は、自分の後宮に入れようとする。しかし、新大納言は頑なに拒否。
それでは院に対する不敬になると怒った父成親は新大納言を勘当する。

新大納言局に仕える女房が、彼女に訳を聞くと、実は心に決めた男性がいるのだという。
その男性とは、殿上の淵酔の日に出逢い恋に落ち、密かに逢瀬を持った、平維盛だった。

哀れに思った女房は、急いで小松殿に向かい、事情を話すと、
維盛は、「彼女のいうとおりです」と事実を認めた。

かわいそうな目にあわせてしまったと、維盛は、新大納言を迎え入れたのだった。


成親が、重盛の息子である維盛と娘との仲を否定するとは考えにくいので、後世の創作エピソードかもしれませんが、

「乙女の初恋を奪った美男貴公子・維盛」

めちゃくちゃいいですね。
うん、いい。

平維盛と正妻(建春門院新大納言局)『平家物語』

新大納言の再婚相手は

『平家物語』巻七「維盛都落ち」の最大の見せ場は、なんといっても、

最愛の妻に、他の男性との再婚をすすめる維盛でしょう。

まぁ普通ならここで、「自分が戦死したと聞いたら、菩提を弔ってくれ」とか言うところなんですよ。

ところが、「出家は絶対するな。他の男と再婚してくれ」なんですよ、維盛様は。


原文をどうぞ。

(維盛の台詞)
「日頃申しし様に、われは一門に具して西国の方へ落ち行くなり。
いづくまでも具し奉るべけれども、道にも敵待つなれば、心やすうとほらん事もありがたし。たとひわれうたれたりと聞き給ふとも、様などかへ給ふ事はふめゆめあるべからず。そのゆゑは、いかならん人にも見えて、身をもたすけ、をさなき者共をもはぐぐみ給ふべし。情けをかくる人もなどかなかるべき」

(常日頃申していたように、わたしは、一門とともに西国に落ちていきます。
あなたをどこまでもお連れしたいけれど、道中に敵が待ち受けているので、心安く通っていくこともできません。
例え、私が討たれたとお聞きになっても、出家などは決してしないでください。
その理由は、どのような人とも再婚して、生計をたてて、幼い子供たちを育ててほしいからです。情けをかけてくれる人もきっといることでしょう)

(覚一本『平家物語』巻七「維盛都落」)

ああああああ………!
(T△T)

こんなこと、維盛だって言うの辛いに決まってるじゃないですか。
そこを、あえて、妻や子供たちの平穏な生活を願って、突き放すような言葉を選んだ維盛。

なんという自己犠牲の人……。
( ノД`)・゜・。


とはいっても、実はこれ、新大納言局が実際に再婚したという事実から遡及して創作されたセリフだと言われています。
(…でしょうね(ーー;))

ただ、妻子を都に残していったことは事実なので、実際の維盛も、自身のことより妻子の安穏を優先に考えていたことは間違いないでしょうね。
かっこいいですね。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

これは余談ですが、
原文では、維盛は妻の新大納言局に対し、尊敬語謙譲語を使いまくっていますね。
(給ふ、奉るなど)

この時代の特徴ですが、『平家物語』の中で、維盛→資盛(弟に対して)や、重盛→維盛(息子に対しても、尊敬語が使われています。
勿論、重衡→大納言佐(妻に対して)も、尊敬語です。

とても美しいですね。
(でも漫画でそれをやると慇懃な感じになるので、やってません)
(^^;)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


さて、その新大納言局の再婚相手。かなりの重要人物です。
既に何度か話題にでてきていますが、『吉記』の著者・吉田(藤原)経房です。

平家政権下では、蔵人頭、高倉院の院別当を勤め、その後参議・権中納言。(公卿補任)
経房は、源頼朝にも信頼され「京ノ申次」(『愚管抄』)として、鎌倉から朝廷への議奏を務めました。

経房は、『吉記』の中では中立の立場を貫いていますが、平家には情誼を持っていたようで、維盛の未亡人である新大納言局にも同情を寄せていたのかもしれません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

また、都落ちの頃には、新大納言局の兄である藤原成経(鹿ケ谷事件で流罪になってた人です)も、赦免され社会復帰していましたし、都には、祖父にあたる藤原俊成、従兄弟にあたる藤原隆房もいます。新大納言局が頼ることのできる人物はそれなりにいたようです。

西国に連れていくよりも、都にとどまったほうが新大納言局にとっては生きやすいだろうと維盛も考えたのでしょうね。


維盛の側室

ちなみに、『平家物語』には出てきませんが、維盛には側室もいます。
(いるんですね)

『尊卑分脈』では、平親宗の娘も維盛の妻の一人としています。

平親宗は、院近臣。時子時忠の弟ですが、治承三年のクーデターで解官対象にされているほどの後白河院寄りの人物です。
前々々回の記事で、資盛と一緒に後白河院の内密御幸に御供していたというあの人です)

この親宗の娘、寿永三年(=元暦元年、1184)12月、維盛が入水した年の冬に他界したといわれています。

三位中将惟盛妾
元暦元十二死、聞惟盛卿死去之事如此
(『尊卑分脈』)

情報が少ないので想像にすぎませんが、夫の後を追ったのかなぁとか、実家と平家との間にあって色々悩むことがあったのかなぁとか、考えてしまいますね。

迎えに来る弟たち

『平家物語』では、妻子とうだうだしている維盛に、
「あの~そろそろ、出発したいんですけど…」
と、揃って迎えに来る弟たちが、なんかかわいい(?)のですが、

弟たちにも当然、妻はいます。

清経には、「延慶本」等読み本系『平家物語』に妻との別れの逸話があり、
それが世阿弥作の能「清経」の元ネタにもなりました。(詳しくは後日)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ちなみに漫画にもちょっと描きましたが、『源平盛衰記』では、維盛があまりにも遅いので、資盛が弟達を代表して少し厳しめの言葉をかけにいく場面があります。

やゝ有つて、新三位中将又縁の際まで打ち寄せて、御遺はいつも尽きぬ御情、誠に打具し奉る歟、思召し切る歟、御心弱くも依るべき事に候、兎も角も疾々。

「名残はいつも尽きないもの。お連れになりますか、それとも思い切られますか。
お心弱くともお決めにならなければなりません。ともかく、早く。」

『源平盛衰記』「維盛妻子に遺を惜む事」

“次男”の務めを果たす資盛、とてもかっこいいですね。


六代御前

維盛の長男・六代御前が登場しました。
父も母も超絶美形なので、当然六代御前も超絶美少年

『平家物語』によると、
平家隆盛の基盤を築いた平正盛から数えて、六代目の子孫なので、幼名を「六代」といったそうです。

六代御前は、『平家物語』本編の最後を飾る、重要人物です。

巻末に「灌頂巻」を持たない「屋代本」等の八坂系語り本『平家物語』は、この六代御前の最期をもって、幕を閉じます。

以前の記事にもあったように、実際には維盛は、生まれながらの嫡男でもなければ、小松家も平家の主流からは外れていますので、六代が平家の嫡流かといわれるとそうでもないのですが、『平家物語』はこの、「清盛‐重盛‐維盛‐六代」の系列を嫡流として描きます。

『平家物語』は、小松家の物語でもあるのですね。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

福原へ向かう平家一行と合流した小松家。
維盛は、宗盛たちと上手くやっていけるのか?

次回更新は、十月上旬の予定です。



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※参考文献/『とはずがたり・たまきはる』新古典文学大系、岩波書店/『尊卑分脈』新訂増補国史大系、吉川弘文館/『平家物語』新編古典文学全集、小学館/『延慶本平家物語』勉誠社/『源平盛衰記』芸林舎/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』岩波書店 / 永井晋氏『平氏が語る源平争乱』吉川弘文館/角田文衛氏『平家後抄』朝日新聞社/ →発行年等、参考文献の詳細はこちら

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