熊野詣と平重盛の他界【平維盛まんが 5】 『平家物語』
自身の運命を悟った重盛は熊野参詣を思い立つ。重盛の願いとは…
※漫画はえこぶんこが脚色しています。
登場人物
平維盛 たいらのこれもり平清盛の長男[重盛]の長男。
平重盛 たいらのしげもり
平清盛の長男。維盛の父。
重盛の熊野参詣
水も滴る小松家兄弟‼(語弊)
維盛たちが本当に水遊びしたのかどうかは分かりませんが、治承三年の重盛の熊野参詣は史実です。(『山槐記』『百錬抄』『建礼門院右京大夫集』)
『山槐記』(中山忠親の日記)には、「三月被参熊野 申後世事云々」とあります。(治承3年5月25日条)
んん…
『山槐記』の記述が正しいならば、水遊びは…してないでしょうね。
三月ですからね。
旧暦の三月は今の四月くらいですけど、水遊びにはちょっとまだ早いかも…。
やっててほしいですけどね、仲良く水遊び。
やっててほしいですけどね、仲良く水遊び。
(水遊びの話をひっぱるな )^^;
※ちなみに、中院本では、浄衣が濡れたのは、水遊びをしたからではなく、にわか雨に濡れたから、ということになっています。(維盛だけ)
辻風と熊野参詣の時期
『山槐記』の話はさておき、
『平家物語』では「夏の事なれば、なにとなう河の水に戯れ給ふ程に」と、熊野詣の時期を夏のこととしています。
『平家物語』が時期を誤ったのではなく、これは作者の意図です。
実は冒頭の「辻風」の話も、史実では治承4年4月29日の話。
(『玉葉』『明月記』『山槐記』)
それをあえて一年前倒しににして、熊野詣の契機として描いています。
ここの脚本、結構すごいんですよ。
神祇官と陰陽寮の占いでは「百日以内に、大臣の身に何かが起こる」っていっているんですが、この日(平家物語では5月12日)から重盛が他界するまで、約八十日なんです。
「辻風」「重盛の熊野詣」という史実を取り上げながら、時系列を少し入れ替えて、因果を孕んだストーリーに仕上げているのですね。
この箇所以外でも、『平家物語』(特に語り本)は、因果を持たせたり伏線を張ったりするために、出来事の時系列を史実から変更するということを時々しれっとやってのけます。
これを史実の改竄というかは別として、作者は脚本家としての才能がめちゃくちゃありますよね。だから『平家物語』は、現代人が読んでも面白いんでしょうね。
(便宜上”作者”と言っていますが、『平家物語』の作者とは、特定の個人を指すのではなく、何十年何百年の間に諸本の改編に携わった、多数の作者たちを指しています)
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『山槐記』に話を戻しますが、重盛の病状について割と生々しく書いてありまして、
「御精進屋食事、頗復例之間、反吐血、其後又不食、遂日枯稿云々」
熊野参詣の後に、血を吐いて食事も摂れなくなったらしい。
この頃には病状はかなり進行していたようですね。
自身の最期を悟った重盛は出家し、まもなく他界します。
(『玉葉』では7月29日。『愚管抄』『百錬抄』では8月1日。)
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ところで、前回から登場している、小松家家人の平貞能(たいらのさだよし)。実は重要人物です。
資盛の乳母夫とも言われており、重盛の没後は資盛を軍事的にサポートし、都落ち後は資盛の命運を握る重要な役割を担うことになります。
詳しくはこちらの記事
予知能力?! 重盛と知盛の役割
前回の話では、予知夢により自分の最期を悟って、維盛に
無文の太刀を託した重盛。
今回も、身体から灯籠のような火が出てくるという不思議な現象を見せています。
『平家物語』は、重盛に神通力のような能力を持たせ、その達観した視点によって、平家が取るべきだった正しい方向性を主張させています。
『悪心を抱く清盛と、それを諫める重盛』
という構図は有名ですが、
では『平家物語』は、清盛の何を「悪」と呼んだのでしょう。
そのヒントは、神祇官と陰陽寮の御占の中にあります。
『平家物語』は全編を通して、「仏法」と「王法」の二つは護持されるべき絶対的支柱であるという主張を貫いています。
重盛の没後、歯止めを失った清盛は、法皇の幽閉や南都焼討など、まさに王法と仏法を侵害する道を進むわけで、この御占はその未来を予告するものになっています。
その思想をもとに、この章段では、自分の寿命を賭してまで「入道の悪心を和げて、天下の安全を得しめ給へ」と祈った重盛を、とりわけ聖人として描いているのです。
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ところで、清盛と重盛にみられるような対比的な人物描写は、『平家物語』後半では、宗盛(清盛の三男)と知盛(清盛の四男)の間にもあらわれます。
誤った判断をしてしまう宗盛に対し、本当は選択すべきだった正解の方を主張するのが、一貫して知盛なのです。
(そして、その正論が却下されたが故に、平家が滅ぶというシナリオ)
『平家物語』の脚本術はほんとに絶妙で、
平家の良心として描かれる重盛と知盛。
逆に、この脚本のせいで割を食ったとみられる清盛や宗盛については、『平家物語』のキャラだけを信じないようにはしてあげたいですね。
熊野信仰と補陀落信仰
今回の漫画は、巻三「医師問答」を基にしているのですが、『平家物語』には、他にも熊野信仰にまつわる話が度々出てきます。
(巻一「鱸」・巻二「康頼祝詞」・巻十「熊野参詣」など)
その最たるものが、巻十『熊野参詣』で、この話こそ、この漫画の主人公・平維盛が那智沖で入水する物語です。
父の重盛が熊野にて、自らの寿命が尽きることを願ったという今回の話と合わせると、なんとも胸が痛くなりますね。
那智は補陀落信仰の地で、当時、那智の海の向こうには観音の住む極楽浄土があると信じられていました。
維盛が船を漕ぎだして海に入った理由も、この補陀落信仰によるものとみられています。
維盛の高野山~熊野参詣の話は、『平家物語』諸本の間でも異同が少ない為、『平家物語』の初期の段階で既に今ある形でほぼ完成していたとみられています。
維盛入水説話の成立と流布には、高野山や熊野の宗教者の存在が関わっていると考えられています。
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…時を戻そう。
重盛の没後、清盛と後白河院は完全に決裂し、治承三年のクーデターへと発展。
そして治承四年、ついに内乱の火蓋が切って落とされる・・・
次回、以仁王の挙兵。(治承四年 維盛22歳)
<おまけの系図>
※この漫画で平清経がいつもマイナス思考なのは、『平家物語』巻八が元ネタです。詳しくはこちらの記事 → 平清経の入水