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富士川の戦い 前編【平維盛まんが 7】 維盛の性格、本当は気が強い?『山槐記』『玉葉』

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治承四年八月、ついに源頼朝が挙兵。追討使の大将軍に任命された維盛は、福原を出立するが… <『山槐記』『玉葉』治承四年九月二十九日条より>  ※漫画はえこぶんこが脚色しています。    ◆解説目次◆ ・登場人物 ・福原遷都 ・源氏の挙兵 ・追討使出陣 ・維盛と忠清   登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 藤原忠清(伊藤忠清) ふじわらのただきよ(いとうただきよ) 小松家家人。維盛の乳母夫(めのとふ)。 福原遷都 治承4年(1180)6月2日、 安徳天皇 が福原へ行幸。 高倉上皇 、 後白河法皇 、 摂政 藤原基通 をはじめ、一部の公卿も福原へ入りました。 「福原遷都」 と呼ばれる行幸ですが、当初、新都が構想された場所は福原の南に隣接する 和田 でした。けれども、土地が足りない等の理由から実現せず、 昆陽野(小屋野) 、 印南野 なども候補に挙がったものの、結局は、 福原 の地を暫時の皇居として整備していくことになりました。 和田(輪田)には日宋貿易の港として清盛が修築していた大輪田泊があり、清盛はこの地に、海に面した新しい国際貿易都市を構想していたと考えられています。 けれども今回は、平安京に近い権門寺院が以仁王の乱に加担したことを受けての急な行幸でもあったことから、準備不足は否めず、遷都計画は迷走します。 源氏の挙兵 ■源頼朝の挙兵 治承4年8月17日、 源頼朝 が挙兵。伊豆の目代・ 平兼隆(山木兼隆) を襲撃し討ち取りました。 頼朝は三浦一族と合流するため 北条時政 ・ 土肥実平 らを率いて伊豆を出ましたが、 23日、石橋山で 大庭景親 ・ 伊東祐親 の軍に挟まれ、大敗。 (石橋山の合戦) 窮地を脱した頼朝は、安房に渡り再挙を図ります。 9月、 千葉常胤 や 上総広常 などの大武士団が次々と頼朝の基に集結。 その状況は 「軍勢は数万に及び、関東の七、八カ国を掠領した」 (『玉葉』) として都に伝えられました。 ■甲斐源氏の挙兵、 木曽義仲の挙兵 時を同じくして、甲斐では 武田信義 、信濃では 木曽義仲 が挙兵します。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『平家物語』等では「以仁王の令旨」に呼応した為と描かれる源氏の挙兵ですが、 各地で同時多発的に蜂起が起こった背景には、 治承三年
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【平維盛の生涯】
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■14【二五歳】篠原の戦いと山門連署|平家物語
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■17【二五歳】都落ち[忠清と貞能]|平家物語
■18【二五歳】都落ち[維盛と新大納言]|平家物語
■19【二五歳】福原落ち-前編|平家物語
■20【二五歳】福原落ち-後編|平家物語
■21【二五歳】大宰府、月夜の歌会|平家物語
■22【二五歳】大宰府落ち-前編|平家物語
■23【二五歳】大宰府落ち-後編|平家物語
■24【二五歳】貞能の離脱|吾妻鏡
■25【二五歳】水島の戦い|源平盛衰記
■26【二六歳】木曽義仲との和平交渉|玉葉
■27【二六歳】福原奪還と維盛の病|平家物語
■28【二六歳】三草山の戦い-前編|平家物語
■29【二六歳】三草山の戦い-後編|平家物語
■30【二六歳】一の谷の戦い(1)|平家物語