大宰府落ち(前編)【平維盛まんが22】|緒方惟義との折衝 『平家物語』


豊後の知行国主・藤原頼輔が大宰府の平家追討に動き出す。かつて小松家に従っていた緒方惟義を宥めるため、資盛と貞能は、豊後に向かうのだったが…

<『平家物語(覚一本)』巻八/『平家物語(延慶本)』巻四より> 
平貞能『平家物語』
平貞能と平資盛『平家物語』
延慶本平家物語 平資盛
延慶本平家物語 平維盛、平資盛、平清経、平有盛
後白河院と平資盛
平時忠、藤原頼輔、緒方惟義、緒方惟村
平時忠と平資盛

※漫画はえこぶんこが脚色しています。  

◆解説目次◆ ・登場人物
・平家追討に動く藤原頼輔
・緒方惟義
・豊後へ向かう資盛
・資盛が豊後で投降した説?
・交渉のゆくえ
・大宰府の危機
 

登場人物

平資盛 たいらのすけもり
平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。

平貞能 たいらのさだよし
小松家の家人。資盛の乳母夫とも。

平家追討に動く藤原頼輔


藤原頼輔(頼資)は、藤原師実の子[忠教]の子。
『蹴鞠口伝集』を著した蹴鞠の名人としても有名です。

『平家物語』では、豊後の知行国主である頼輔が、その子で国守である頼経(※)に、大宰府の平家追討を命じ、
頼経はこの命令を豊後の豪族・緒方惟義に伝えたといいます。

(※実際には、寿永二年の時点では豊後守は、頼輔の孫の宗長)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

頼輔は、院近臣として後白河院に仕えていたので、
この平家追討命令を、後白河院も承知しているのかが重要な問題になってきます。

『平家物語』諸本の表現を見てみましょう。


■覚一本『平家物語』
(惟義が)国司の仰せを院宣と号して、九州二島にめぐらしぶみをしければ、しかるべき兵ども惟義に従ひつく
覚一本『平家物語』巻八「緒環」

緒方惟義が国司の命令を院宣だと称して兵を集めたという表現。
院は関係ない?


■屋代本『平家物語』
(頼経の言葉)
「於于当国ハ不可随。一味同心シテ可追出平家。是頼輔カ非下知、一院ノ勅定ナリ

屋代本『平家物語』巻八「豊後住人緒方三郎惟義事」

頼経の言葉に「これは父・頼輔の下知にあらず、一院(後白河院)の勅諚であるとあります。
やっぱり院関係ある?


■延慶本『平家物語』
(頼経の言葉)
「是全非私下知併一院々宣也、凡不可限当国、九国二島輩顧後勘身をまたくせんと思はむ者は一味同心而可追出九国中」
(中略)
(惟義が)院宣を蒙りける上は、興に入て九国二島の武勇の輩を駈催て数万騎の兵を引率して大宰府へ発向せんとしければ、

延慶本『平家物語』第四・十「平家九国中於可追出之由被仰下事」、十一「伊栄之先祖事」

屋代本と同じく頼経は「一院の院宣」であるといい、
惟義の挙兵についても、覚一本とは異なり「院宣を蒙りける上」であるとしています。
延慶本では、院宣による挙兵であるという表現になっていますね。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

大宰府への攻撃が院の意向であるならば、
これは平家にとって、今まで源氏と戦ってきたのとは全く違う次元の危機となります。

頼輔・頼経の派遣した惟義の軍と戦うことは、即ち院と敵対するのを決定づける戦いになってしまうからです。


このあと『平家物語』では、緒方惟義がかつて重盛の配下にあったという理由で、資盛が説得に向かうのですが、

惟義が小松家の…ということよりも、
資盛には、院近臣である頼輔、更にその後ろにいるであろう後白河院との対立をなんとか回避したいという思いがあったのかもしれません。


緒方惟義(維義・惟栄)


大宰府の平家追討を命じられたのは、豊後国大野郡緒方荘の荘司・緒方惟義(維義・惟栄)

緒方氏は、平安中期より大野郡を中心に強大な武士団を形成していた豪族で、
平家が大宰府を掌握した後平家に従い、惟義は平重盛と主従関係を結んでいたといいます。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

惟義が平家に叛いたのは、大宰府攻めのこの時が初めてではありません。

養和元年(1181)の時点ですでに、肥後の菊池隆直とともに挙兵しており、平家方の大宰権少弐・原田種直、肥後守平貞能によって抑えられています。(詳しくこちらの記事)


平家の大宰府支配の中心となっていた原田種直と、九州に根付いた在地の豪族の間にはもともと軋轢があったため、その対立がここでも露呈したといえます。

惟義は忘恩の者のように言われますが、緒方氏は別に重代の平家の家人というわけでもないので、惟義の選択は時勢を見た現実的な判断だったのかな、という気がしますね。


豊後へ向かう資盛


惟義が攻めてくるという情報を得た平家は、惟義を宥める為、資盛を使者として豊後へ派遣します。

覚一本では、時忠に指名されて資盛が豊後に向かっているのですが、
延慶本では、資盛の家人である平貞能が自ら名乗り出て交渉役を引き受けています。

肥後守貞能が申けるは、小松殿公達一両人を具しまひらせて勢多く入れまし、四五十騎にて豊後へ越て伊栄(惟義)をこしらへて見候はやと申ければ、尤可然とて新三位中将資盛清経小松新少将有盛三人大将にて六十騎計にて豊後へ打越て

肥後守貞能が申したのには、「小松殿の公達を一、二人お連れしてできれば大勢で行きたい。四五十騎で豊後へ向かって惟義を宥めてみましょう」と申したので、もっともしかるべきであるといって、新三位中将資盛、清経、小松新少将有盛三人を大将として六十騎ばかりで豊後へ向かっていって
(延慶本『平家物語』緒方三郎平家於九国中を追出事)


以前の記事にあったように、貞能は和平交渉に積極的な立場だったという説があるので、延慶本の描写からは、そういう雰囲気も感じとることもできますね。

さらに延慶本では、資盛と、弟の清経有盛も一緒に豊後に向かっています

覚一本と比べると、貞能や弟達が一緒だから、資盛が心細くなくていいですね。
(^-^)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ところで、この時、貞能と資盛は、神器返還も条件に含めた和平交渉に臨んでいたのではないかという説があります。

・貞能は院から内々に神器返還の要請を受けていた。(『吉記』寿永2年7月30日条)
・この後に資盛は帰洛を希望する旨を手紙で訴えており、その時、都の人々は神器を伴っての帰降かと期待した。(『玉葉』寿永2年11月12日条)

等の状況からの推測です。


前述のように、大宰府攻めは惟義の一存で行われたのはなく、院近臣・藤原頼輔、さらにその後ろには後白河院の意向もあったのではないかと考えられます。

都落ちの時、院と連絡を取りたくても取れなかった資盛にしてみれば(詳しくはこちらの記事)
「自分には、院に叛く意思はない」と伝える必要があったのかもしれません。

『平家物語』の中では神器返還にまで言及されているわけではありませんが、漫画ではこの説も取り入れて描いてみました。

※参考文献:川合康氏「治承・寿永内乱期における和平の動向と『平家物語』」『文化現象としての源平盛衰記』笠間書院、2015
上横手雅敬氏「小松の公達について」『和歌山地方史の研究』安藤精一先生退官記念会、1987年


資盛が豊後で投降した説?


『平家物語』では、交渉に臨んだ資盛は、この後惟義に一蹴されてしまいます。

(惟義のセリフ)
「君達をも只今ここでとりこめ参らすべう候へども、大事のなかに小事なしとて、とりこめ参らせずは、なに程の事かわたらせ給ふべき。とうとう大宰府へ帰らせ給ひて、ただ御一所でいかにもならせ給へ」


「あなたを今ここで捕虜にするところでございますが、大事のなかの小事ですので、捕らえはいたしませんが、お帰ししたところで、どれほどのことができましょう。すぐ大宰府へお戻りになられて、一門の方々と御一緒にどのようにもおなりなさい」
(『平家物語』巻八「緒環」)

『平家物語』には、「あなたを今ここで捕虜にするところでございますがという惟義の、どきっとするセリフがあります。

そう言われながらも資盛は、捕虜になることはなく平家一門のもとに戻れているのですが、


実は『玉葉』には、貞能と資盛は豊後で生捕りになっていたという話があります。


……What!?
(@_@)

又聞、資盛貞能等、為豊後住人等乍生被取了云々、此説、日来雖風聞、人不信受之処、事已実説云々
また、聞くところでは、資盛貞能が豊後の住人によって生け捕られたという。この話はこのところ噂されていたといっても、人々は信じていなかったが、実説だという。
(『玉葉』寿永3年2月19日条)

『玉葉』によれば、資盛と貞能が豊後の住人に生捕りになっていたという風聞が都に届いていたというのです。

生捕りというと物騒ですが、これは投降を意味していて、
資盛には、都落ちの時点で既に後白河院へ帰降する意思があったことから推測して

主戦論の平家主流派とは意見が合わず、九州の時点で一門から離脱し投降したという解釈もできるのです。

少なくとも家人の貞能に関しては、九州に留まり、平家の屋島行きには同道しなかったことが知られています。(『玉葉』寿永二年閏十月二日条)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

この資盛の豊後投降説、実は史学分野では割と有力視されています。


(@_@)!?

壇ノ浦で入水したんちゃうの……?


資盛が貞能と一緒に豊後で投降したとなれば、『平家物語』とは今後の展開が全然違ってきてしまうので、ちょっと戸惑ってしまいますね。

この資盛の豊後投降説は、『建礼門院右京大夫集』の内容の虚実問題にも関わってきますので、また追い追い触れていこうと思います。

(^^)



交渉のゆくえ

『平家物語』では、豊後に向かった資盛と入れ替わりに、
惟義の息子・惟村が大宰府へ使者として向かうのですが、時忠に一喝されてしまう、という場面があります。

(時忠のセリフ)
「それ我君は天孫四十九世の正統、人皇八十一代の御門なり。天照大神、正八幡宮も我君をこそまもり参らッさせ給ふらめ。(中略)

頼朝・義仲等にかたらはれて、しおほせたらば、国を預けう、庄をたばんといふをまことと思ひて、其鼻豊後が下知にしたがはん事をしかるべからず。」


【訳】
「そもそもわが君は天孫より四十九世の正統、人皇八十一代の御門である。天照大神、正八幡宮もわが君をお守りしておられるであろう。
頼朝・義仲に騙られて、国を与えよう、庄を与えようというのを信じて、その鼻豊後の命令に従うことは、よくない。」
(覚一本『平家物語』巻八「大宰府落」)

安徳天皇こそが正統な帝であると主張し、さらに、
藤原頼輔の鼻が大きかったということから、「鼻豊後」と言って罵ったというのです。

時忠が「鼻豊後」などと言い放ったというのは、時忠の煽りスキルが炸裂しすぎているので、さすがに『平家物語』の創作だとは思いますが。

(鼻豊後とか言ったことが原因ではなく)
前述のように、おそらく院も大宰府攻めを承知していたことや、平家配下の原田種直と在地の豪族の間にはもともと軋轢があったことなどもあって、

結局、資盛は緒方氏を説得することはできず、大宰府が攻められる事態は避けられなくなります。


大宰府の危機

惟義が大軍で大宰府に押し寄せるという噂を前に、平家一門は大宰府を落ちることになります。

次回、「大宰府落ち(後編)」

一門の中でますます孤立する小松家。
思い詰める清経。
貞能はある決断をする。


次回更新は、三月初め頃の予定です。



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※参考文献/『玉葉』国書刊行会/『吉記』増補史料大系、臨川書店/『延慶本平家物語』勉誠社/『屋代本高野本対照平家物語』新典社/『源平盛衰記』藝林舎/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語』新編古典文学全集、小学館/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』『都鄙大乱』岩波書店 / 永井晋氏『平氏が語る源平争乱』吉川弘文館/森猛氏『九州西瀬戸中世史論攷』海鳥社/→発行年等、参考文献の詳細はこちら

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