一の谷の戦い(1)生田の森の攻防!【平維盛まんが30】|『平家物語』



寿永3年2月7日、摂津国生田の森で、源範頼率いる追討使と、平知盛・重衡率いる平家軍が激突。平家の堅固な護りに苦戦する追討使の梶原軍。その時、重衡が見たものは…


<『延慶本平家物語』第五本より> 


次回に続きます!
※漫画はえこぶんこが脚色しています。  

◆解説目次◆ ・登場人物
・生田の森の防衛線
・梶原景時、バリケードを破る
・梶原親子vs平知盛・重衡
・箙の桜(梅)
・梶原の二度の懸
・平家は弱くない?

登場人物

平知盛 たいらのとももり
平清盛の四男。

平知章 たいらのともあきら
知盛の長男。

平重衡 たいらのしげひら
平清盛の五男。

  

生田の森の防衛線


寿永3年2月7日。夜明けと同時に、
源範頼率いる追討軍と、平知盛平知章平重衡率いる平家軍が、
摂津国生田の森で衝突しました。

生田の森の戦いの序盤はバリケード戦で、
平家側は、堀や逆茂木(※)で山陽道を遮断し、
源氏軍の福原への進軍を防ぎました。

(※逆茂木(さかもぎ)…枯れ木のとんがった方を敵側に向けて並べたもの。有刺鉄線のような役割をし、枝が刺さるので騎馬は容易に越えられない。)

神戸の地形は、山が海までかなり迫っていますので、こうしたバリケードを横に長く敷けば、敵の進軍を完全に防ぐことができたのですね。


『延慶本平家物語』には、その様子が描かれています。

平家は摂津国生田森を一の木戸口として堀をほり逆木を引、東には堀に橋を引き渡して口一つあけたり、北の山より際までは垣楯かいて矢間をあけて待ち係たり。

【訳】
平家は摂津国生田森を一の木戸口として、堀をほり逆木(逆茂木)を引き、東には堀に橋を引き渡して、一箇所だけ通れるようにし、
北の山際まで垣楯を並べて、矢間(矢を放つための隙間)をあけて待ちうけていた。

(『延慶本平家物語』第五本 「源氏三草山并一谷追落事」)


これでは騎馬では突破できないし、近づいたら矢で攻撃されるし、
少人数で突撃しても、矢の雨を浴びて全滅するだけです。

この状況をみて、源氏の大手の大将軍・源範頼は、配下にこう命じます。

「大勢待付て軍はせよ。小勢にて先にすゝむて不覚すな」

「大勢が到着するのを待って戦え。小勢で先にすすんで失敗するなよ。」
(『延慶本平家物語』第五本 「源氏三草山并一谷追落事)

範頼は、少数がスタンドプレーに走ることを窘めたのですね。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

が、それでは功名を残せないと、武蔵国住人・河原高直、守直兄弟が逆茂木を乗り越え突撃しますが、
平家方の備中国の住人・真鍋五郎に射られて討死してしまいます。

平家本陣には、そう簡単には近づけさせませんよ!!!


  

梶原景時、バリケードを破る


それを見ていた梶原景時

突進しても平家方に一方的に射られて終わるものだから、まずはバリケードを崩さなければ、と考えます。
(それはそうですね)

景時は、四五十人の「足軽」を使って、逆茂木を取り除かせたといいます。
その様子を『源平盛衰記』より。

足軽四五十人に腹巻きせ手楯つかせて、曳声出して逆茂木を引除く、
(中略)
櫓よりは、逆茂木を引かせじと矢衾を造つて是を射る。
(中略)
かかりけれども、足軽共一つ二つと引く程に、逆茂木をば遂に皆引除けにけり。

(梶原景時は)四五十人の足軽に腹巻(簡単な鎧)を着せ、手楯を持たせ、
(足軽は)「えい」と声をだして逆茂木を引き除ける。
(平家は)櫓より、逆茂木を引かせまいと一斉に矢を射る。
こうしていたが、足軽どもは一つ二つと引いていくうちに、逆茂木を遂に皆引き除けてしまった。

『源平盛衰記』巻三十七「景高景時城に入る並景時秀句の事」

矢の雨が降る中を、決死で作業にあたる足軽さんも大変ですね。
(-_-;)


梶原親子vs平知盛・重衡


ついに逆茂木を取り除き、
突破口を作った梶原親子の軍が、防御壁の内側に突入してきます。

迎え撃つのは、平家の軍事TOP
我らが、平知盛・重衡兄弟!!!

うぉーっ
めっちゃ熱い展開じゃないすか?!

スーパー大人気・若手公達、平知章(知盛長男)もいますよ。

熱いな、生田の森。


平家軍は二千騎の兵で出撃。
生田の森では、源平両者入り乱れ、激しい戦闘が繰り広げられました。



箙の桜(梅)


けれども多勢に無勢、
五百騎の梶原軍は、二千騎の平家軍には敵わず、多くは撤退。
景時の長男・景季は奮闘するも、平家軍に取り囲まれてしまいます。

ここで景季を討っちゃうのかと思いきや、そうはしないのが、雅な平家。

景季の箙に差された一枝の桜に気づいた重衡が、まさかの和歌を送ります。
さすがの重衡様。イケメンすぎます!!

このエピソードは、
謡曲『箙』の元ネタにもなっていて、
「箙の梅」として有名です。


………ん?

ちゃうの?
(@_@)


この場面、諸本によって、で分かれます。(こんなんばっかりや)

■桜 … 延慶本、四部合戦状本、源平闘諍録
■梅 … 長門本、源平盛衰記、謡曲「箙」
※『源平盛衰記』では梅の花を挿していたのが景時である等、話の内容も少しずつ違います。

どっちだ?
(@_@)

実は、当時の季節的には、桜があってるそうなのです。

寿永3年2月7日は、西暦(グレゴリオ暦)1184年3月27日。
一の谷の戦いは、桜の季節なんですね。


(※当時は太陽太陰暦(1年=354日)だったので、3年に一度閏月を挟んで、季節のズレを調整します。
だいたい旧暦と新暦では一ヶ月ほど季節感がずれますが、特にこの寿永3年の春に関しては、
直前の寿永2年に閏10月があり、ここで一ヶ月分日付を稼いでますので、旧暦2月といってもほぼ4月の気候。)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

重衡と景季の連歌を見てみましょう。

■重衡の詠んだ上の句
こちなくも 見ゆるものかは 桜狩
(春の東風も吹いていないのに(無骨にも)、桜狩と見えますね)

  ※こち…「東風(こち)=春風」と「骨無し(こちなし)=無骨、無粋 」の掛詞

■景季の詠んだ下の句
いけどりとらむ ためと思へば
(あなたを生捕りにするためですよ)

  ※いけどり … 鳥 と 生捕り の掛詞

敵同士が、戦いの手を止めて、
桜の枝を廻って、歌を詠み交わす。

雅を知る平家と、和歌が得意な梶原一族ならではの、優美なエピソードです。


ただ、重衡の上の句も、景季の下の句も、
掛詞には相手を挑発するようなニュアンスも含まれていて、

笑顔で敵を牽制する…みたいな、少年漫画に出てきそうなやりとりにも見えますね。
(かっこよすぎる)

「生捕り」とかもう言っちゃってるから、重衡の生捕りを知っている後世の人の手による創作なんでしょうけど。
ちなみに『延慶本』では、のちに重衡を生け捕るのが梶原軍です。
(伏線回収。)



梶原の二度の懸(かけ)


さて、そうしているうちに、
一人敵陣に残った息子・景季を助ける為に、梶原景時が戦場に引き返してきます。
「梶原の二度の懸」

景時は、景季を逃がした後に自身も撤退。
生田の森は、平家が護り切りましたね!

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

覚一本では、孤軍奮闘する息子・景季に対し、
「いかに源太、死ぬるとも敵にうしろを見すな」

「どうした源太、死んでも敵に後ろを見せるな
『覚一本平家物語』巻九「二度之懸」

と、武士らしい(スパルタな)言葉を発する父・景時ですが、
(助けに来たんちゃうんかい)
Σ( ゚Д゚)


読み本系では、もうちょっと人情味がある言葉になっています。
「咹れ、源太冠者誤ちすな。景時是に有り」

「ああ源太、間違うな(死を焦るな)。景時はここにいるぞ」
『四部合戦状本平家物語』巻九「梶原二度の懸」

さらに延慶本では、自らが楯となって息子をかばう、めっちゃ優しい景時父上。
「景時こゝに有と云て、源太を後にして、我身は矢面にふさがりて、散々に射はらひて、源太に息つかせて、いざうれ源太とて係破て出にけり」

「景時はここにいるぞ」と言って、源太を後ろにして、我が身は矢面に立ち塞がって、源太に息をつかせて、散々に矢を射払って、「さあ源太」といってかけ破って出ていった。

『延慶本平家物語』第五本 「源氏三草山并一谷追落事」


……親父カッコよすぎるやろ。

読み本系の方が、景時の親心が感じられますね。
(漫画ではこっちを使っています)


でもこれが、
この直後に起こる知盛・知章親子の悲劇への、
残酷な対比になってしまっていることに、

平家好きの皆様は、すぐに気付いてしまいますよね。
ツラ………。
(/_;)



平家は弱くない?


今回は、読み本系の『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』等に沿って、
「生田の森・一ノ谷の戦い」の前半を追ってみました。


意外に、平家強いでしょ!?(何様)


「覚一本」での一の谷の戦いでは、美しく儚く散っていった平家の公達の哀れさがひたすら強調されているのですが、
(それはそれですごく美しいのですが)

「延慶本」などの読み本系では、平家の公達は意外に強いし、一方的に敗けているわけでもないんですね。





さて、少なくとも、正攻法で正面から攻めて来た源範頼軍が相手だった生田の森では、決して負けていなかった平家軍。


そんな平家優位の戦況を覆したのが、福原本陣への背後からの襲撃でした。(いわゆる鵯越え)


というわけで、次回、「一の谷の戦い(2) 福原陥落」

ああああああ………


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


更新は、5月頃になる予定です。
(ちょっと間があきます。申し訳ありません)
m(_ _)m

いつもお読みいただいて、本当にありがとうございます。
(^-^)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



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※出典・参考文献/『玉葉』国書刊行会/『吾妻鏡』新訂増補国史大系、吉川弘文館/早川厚一氏・佐伯真一氏・生形貴重氏校注『四部合戦状本平家物語全釈』和泉書院/福田豊彦氏・服部幸造氏『源平闘諍録全注釈』講談社/『長門本平家物語』国書刊行会/『延慶本平家物語』勉誠社/『屋代本高野本対照平家物語』新典社/『源平盛衰記』藝林舎/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語』新編日本古典文学全集、小学館/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語研究事典』明治書院/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/ →その他参考文献、発行年等詳細はこちら


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