水島の戦い!【平維盛まんが 25】『平家物語』『源平盛衰記』


寿永二年閏十月一日、備中国水島で、木曽義仲の派遣した軍と、平家との戦いが始まった!
平家の意外な秘策とは…?!

<『延慶本平家物語』巻四-十九、『源平盛衰記』巻三十三より>

平通盛、平重衡、平資盛、水島の戦い
平重衡、平資盛、後白河法皇
平重衡、平資盛、平家物語、水島の戦い
木曽義仲、平家物語
平重衡、平通盛、平資盛、水島の戦い
水島の戦い、平重衡、平知盛、平教経
平家物語、水島の戦い、平資盛
平重衡、平資盛
源平盛衰記、水島の戦い、平重衡
平重衡、平資盛

※漫画はえこぶんこが脚色しています。  

◆解説目次◆ ・登場人物
・入京後の義仲
・寿永二年十月宣旨
・水島の戦い! 
・知盛なのか、重衡なのか? 
・日蝕はマジの話だった
・平家の復権  

登場人物

平資盛 たいらのすけもり
平清盛の長男[重盛]の次男。

平重衡 たいらのしげひら
平清盛の五男。

平教経 たいらののりつね
平教盛の次男。通盛の弟。

入京後の義仲


都落ちした平家と入れ替わりに入京した木曽義仲源行家でしたが、

当時の平安京は、飢饉の影響と内乱による物流の滞りで、深刻な食糧不足が起きていました。

困窮した兵たちは京で略奪を繰り返し、
義仲にもそれを取り締まることができない状況だったといいます。

また義仲が、挙兵以来奉じてきた北陸宮(以仁王の遺児)を皇位に付けるよう要求したことも、後白河院や貴族たちからの反感を買う原因となりました。

こうした中で、寿永二年九月、後白河院が義仲に強く西国の平家追討を命じたのは、義仲軍を京から追い出す目的もあったと考えられています。


寿永二年十月宣旨


宣旨の話のその前に。
そもそも、頼朝も義仲も(今は朝敵だから平家も)、
戦いに勝ったからって、なんでその土地の実効支配が許されるんだ?
(無法国家でもあるまいに。)

という話なのですが、もちろん、朝廷や荘園領主からしたら不法占拠にあたるわけです。
内乱により国衙が機能せず、税が都に納められないことが都の食糧不足の原因ともなっていました。

こうした中で、寿永二年十月十四日、鎌倉の源頼朝に、
海道・東山道の諸国に対する軍事指揮権が与えられます。
「寿永二年十月宣旨」

内容としては
・(不法占拠の状態の)荘園・公領を本来の主に返し、
・納税が滞りなく行われる為に、この地域に対して頼朝が軍を動かすことができる
というものでした。
(※頼朝が提案した当初の案では、義仲の本拠地である北陸道も含まれていたが、のちに省かれる)

朝廷側には、国衙を正常に機能させ、安定した税収を得られるというメリットが、
頼朝側には、(実効支配していた地域を返上するかわりに)東国の軍事支配権が公的なものとして認められるというメリットがありました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

平家追討の為に都を離れている間に、頼朝に強い軍事権限を与えるこの宣旨が出されたことは、義仲には屈辱的な事態でした。

また、戦友であったはずの行家との関係も既に悪化していて、行家が院に対して義仲を讒言するなど、油断できない存在になっていきます。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

また、義仲軍の進軍ルートである山陽道は、もともと平家の勢力が強い地域でした。
(直前まで播磨は宗盛の、備前は重衡の知行国だった)

備前では、もと平家の家人(瀬尾兼康)の反乱が起こる等、
義仲軍に対して協力的ではない土地で、兵糧や軍兵の徴発も難航したと思われます。

態勢が十分とはいえない状況の中、
義仲は、屋島の平家追討の為に、配下の矢田(足利)義清海野行広(幸広)を瀬戸内海の水島に派遣します。

こうして、
屋島から舟で備中国まで進軍してきた平家軍との間で、
寿永二年閏十月一日、水島の渡において、合戦が始まるのです。


水島の戦い!


『平家物語』に拠れば、平家の方から一艘の舟を出して牒状を送り(宣戦布告し)、源氏がこれに応えて、戦いがはじまったということです。

物語の描写なので、実際はどうだったかわかりませんが、

(倶利伽羅峠では義仲軍に夜中に奇襲されてるというのに)
ちゃんと作法どおりに、攻撃する前に律儀に牒状送ってる平家はかっこいいですね。
(好きだ…)

『平家物語』あるあるなんですが、水島の戦いも、諸本によって布陣が違います。

■延慶本・長門本…【追手】重衡・通盛・資盛
         【搦手】知盛・教盛・教経
■源平盛衰記…  【追手】重衡・通盛
         【搦手】教経・盛嗣
■南都本・源平闘諍録…【追手】知盛・通盛
           【搦手】重衡・教経
■覚一本・屋代本…【追手】知盛 
         【搦手】教経   
                     etc.

延慶本・長門本・南都本・闘諍録では、知盛・重衡と、通盛・教経の兄弟が揃って出陣しているのが胸熱ですね。

漫画の布陣は、延慶本・長門本に拠りました。
(だって資盛を出したいからね ^^)

※延慶本・長門本には、搦手に教盛もいるのですが、この時五十六歳の教盛の出陣は「???」という説もあります。門脇家父子揃い踏みは熱いですけどね。(^^)



知盛なのか、重衡なのか?


ところで、広く世間に流布している『覚一本平家物語』(学校の教科書で使われるやつ)で
は、大手が知盛、搦手が教経となっています。

一般的には、水島の戦いといえば、この二人のイメージが強いかもしれません。


墨俣川の戦いの回でも少し触れましたが、どうも、語り本系(覚一本・屋代本など)は知盛推しで、

のちに壇ノ浦の戦いで華々しい最期を遂げる平家物語のヒーロー・知盛教経が、
海戦で活躍する場面をあえてここで描こうとしているのかな、という印象も受けます。

※今回、元ネタにした『延慶本』『長門本』『源平盛衰記』では、追手の大将軍は重衡なので、漫画ではそのように描いています。
(日蝕の記述がでてくる『源平盛衰記』には、実は知盛は登場していない

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

では、実際の水島の戦いの布陣はどうだったのかというと、

実はよくわかっていません。
当時の貴族の日記にも、山陽道の戦いについての記述はあるにはあるのですが、詳細までは伺うことはできないからです。

ただ、『吉記』には、水島ではありませんが近い頃の戦いで、少し具体的な記事があります。

去九日、三位中将重衡為大将軍、以三百余騎勢、令寄備前国東川之間、当国検非違使所別当惟資、国武者相合戦、惟資負手、武蔵国住人□四郎介并子息被打取了、仍惟資引国府入□了之後、惟資自西川、以千騎許勢、申刻許令寄之間、平氏兵勝了、

去る九日、三位中将重衡が大将軍となって三百余騎の軍勢で、備前国東川に攻めて来た。当国(備前国)検非違使所別当惟資と国武者がこれと戦って、惟資は負傷し、武蔵国住人□四郎介と子息は討ち取られた。惟資は国府に退いた後、西川より千騎の軍勢を申の刻ごろに出兵させたが、平氏の兵が勝利した。

『吉記』寿永2年11月28日条

備前国に、重衡が三百余騎の軍勢で攻め寄せてきて、国衙の千騎の軍に勝利した、という話が書かれています。

去る九日(十一月九日もしくは閏十月九日)という日付は、水島の戦いとも室山の戦いとも少しずれていて、ちょうどその中間にあたる時期になりますが、

『吉記』の記述からは、この頃、山陽道での合戦を指揮していたのが重衡だったということがわかります。

勿論、だからといって知盛の活躍が否定されるわけではありませんが(読み本系にも知盛の名はあるので)、

ただ、墨俣川の戦いでもそうだったように、
一般的に流布している『覚一本平家物語』では、知盛の活躍の陰に隠れて、重衡の武勇の面はあまり描かれない傾向にあるのですね。

※参考文献 石井由紀夫氏『軍記物語 戦人と環境』三弥井書店


平知盛、平教経、平家物語

日蝕はマジの話だった


『源平盛衰記』に拠れば、水島の戦いの最中に日蝕が起き、
あわてふためく源氏に対し、日蝕が起きることをあらかじめ知っていた平家の兵は有利に戦うことができたといいます。

天俄かに曇りて日の光も見えず、闇の夜の如くに成りたりければ、源氏の軍兵共、日蝕とは知らず、いとゞ東西を失つて、船を退きて、いづち共なく風に随つて遁行く。平氏の兵共は兼て知りたりければ、いよゝゝ鬨を造り重ねて攻め戦ふ。

空が急に曇って、日の光も見えなくなって、闇夜のようになったので、源氏の軍兵は日蝕とは知らず、東西を失って舟を退いて、いずこへともなく風に従って逃げていった。平氏の兵たちは、日蝕のことをかねてから知っていたので、ますます鬨の声をあげて攻めて戦った。
『源平盛衰記』巻三十三 源平水島軍の事


そんなアホな。

都合よく日蝕とか起こるわけないやん。
(*'▽')

『源平盛衰記』お得意の、メガ盛り創作ちゃうんかい?

って感じがしますよね。
(倶利伽羅峠の火牛の計みたいな…)

ところが、どうやら、天文学的にシミュレーションしても、
寿永二年閏十月一日(1183年11月17日)に、備中国(岡山県)から金環日蝕が観測できたことは立証できるらしい。


( ゚Д゚)!?

……マジか。

……平家、かっこよすぎるだろ。


まあ実際には、日蝕が直接の勝因というわけでもないんでしょうが、
(前述のように、義仲軍の態勢が万全でなかったので)

戦いの最中に日蝕が起こるとか、
平家、かっこよすぎるだろ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

ちなみに、この日、京にいた九条兼実も、日蝕のことを『玉葉』に記しています。

此日、日蝕也、所載勘文、辰刻虧初、午刻復末云々、而午刻虧初、申刻復末、算勘之相違歟、

この日は日蝕だった。勘文(陰陽寮が提出した書類)に載る所では、辰の刻に欠けはじめ、午の刻に元に戻るということだった。しかし、実際には午の刻に欠けはじめ、申の刻に元に戻った。計算の違いだろうか。
『玉葉』寿永2年閏10月1日条

『源平盛衰記』の作者は博識なので、こういう古記録をもとに『盛衰記』に日蝕の話を取り込んだのかもしれませんね。

ちなみに『玉葉』によると、
陰陽寮が事前に予測していた時刻と、実際の日蝕の時刻が、辰→午と(約四時間)ずれていたんだそうです。


……いや、誤差四時間て。

充分すごくね?!
(@_@)

望遠鏡も計算機もない平安時代に、ここまでちゃんと計算できてたんですね。
陰陽寮かっけえ。


平家の復権


水島の戦いの勝利は、平家の実力を世に知らしめる結果となりました。
『玉葉』には、この頃の平家の勢いが記されています。

而今度官軍敗績之間、平氏得其衆、勢太強盛、於今者輙不可得進伐

この度官軍(義仲軍)が敗績したので、平氏の勢力は甚だ強盛となり、今となってはたやすく征伐することはできないだろう。
『玉葉』寿永2年閏10月20日条

平氏已来備前国、凡美作以西、併靡平氏了、殆及播磨

平氏はすでに備前国まで来ており、およそ美作国以西は平氏に完全に靡いた。その勢力は殆ど播磨国にまで及んでいるという。
同 閏10月21日条

続いて、11月28日には、播磨国室山で、源行家の軍に平家は再び圧勝。(室山の戦い)
播磨までを制圧した平家は、上洛も視野に入れ、さらに東へ進むことになります。


おおお?!!

……なんか平家、都に返り咲き
できそうな勢いじゃないすか?!

(一ノ谷なんて知らない)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


次回、木曽義仲と平家が和平?!
平家は京に戻れるのか?

更新は、9月上旬頃の予定です。


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※参考文献/『玉葉』国書刊行会/『長門本平家物語』国書刊行会/『延慶本平家物語』勉誠社/『屋代本高野本対照平家物語』新典社/『源平盛衰記』藝林舎/『南都本南都異本平家物語』古典研究会/『源平闘諍録』講談社/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語』新編日本古典文学全集、小学館/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語研究事典』明治書院/『平家物語図典』小学館/冨倉徳次郎氏『平家物語全注釈』角川書店/杉本圭三郎氏『平家物語全訳注』講談社/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』『都鄙大乱』岩波書店 / 永井晋氏『平氏が語る源平争乱』吉川弘文館/ →その他参考文献、発行年等詳細はこちら

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