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熊野詣と平重盛の他界【平維盛まんが 5】 『平家物語』

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自身の運命を悟った重盛は熊野参詣を思い立つ。重盛の願いとは… <『平家物語』巻三より>  ※漫画はえこぶんこが脚色しています。    ◆解説目次◆ ・登場人物 ・重盛の熊野参詣 ・予知能力?! 重盛と知盛の役割 ・熊野信仰と補陀落信仰   登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 平重盛 たいらのしげもり 平清盛の長男。維盛の父。 重盛の熊野参詣 水も滴る小松家兄弟‼ (語弊) 維盛たちが本当に水遊びしたのかどうかは分かりませんが、治承三年の重盛の熊野参詣は史実です。( 『山槐記』『百錬抄』『建礼門院右京大夫集』 ) 『山槐記』 (中山忠親の日記) には、 「三月被参熊野 申後世事云々」 とあります。 (治承3年5月25日条) んん… 『山槐記』の記述が正しいならば、水遊びは…してないでしょうね。 三月ですからね。 旧暦の三月は今の四月くらいですけど、水遊びにはちょっとまだ早いかも…。 やっててほしいですけどね、仲良く水遊び。 (水遊びの話をひっぱるな )^^; 『平家物語』では 「夏の事なれば、なにとなう河の水に戯れ給ふ程に」 と、熊野詣の時期を夏のこととしています。 『平家物語』が時期を誤ったのではなく、これは作者の意図です。 実は冒頭の「辻風」の話も、史実では治承4年4月29日の話。 (『玉葉』『明月記』『山槐記』) それをあえて一年前倒しににして、熊野詣の契機として描いています。 ここの脚本、結構すごいんですよ。 神祇官と陰陽寮の占いでは 「百日以内に、大臣の身に何かが起こる」 っていっているんですが、この日(平家物語では5月12日)から重盛が他界するまで、約八十日なんです。 「辻風」「重盛の熊野詣」 という史実を取り上げながら、時系列を少し入れ替えて、因果を孕んだストーリーに仕上げている のですね。 この箇所以外でも、『平家物語』(特に語り本)は、因果を持たせたり伏線を張ったりするために、出来事の時系列を史実から変更するということを時々しれっとやってのけます。 これを史実の改竄というかは別として、作者は 脚本家としての才能がめちゃくちゃありますよね。 だから『平家物語』は、現代人が読んでも面白いんでしょうね。 (便宜上”作者”と言っていますが、『平家物語』の作者とは、特

無文の太刀と平重盛の病【平維盛まんが 4】 鹿ケ谷事件と小松家 『平家物語』

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鹿ケ谷事件の後、勢いを失う小松家。 維盛が、父・重盛から託されたものとは… <『平家物語』巻三より>  ※漫画はえこぶんこが脚色しています。    ◆解説目次◆ ・登場人物 ・鹿ケ谷事件! ・言仁親王(のちの安徳天皇)誕生 ・小烏の太刀と無文の太刀   登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。 平重盛 たいらのしげもり 平清盛の長男。維盛の父。 鹿ケ谷事件! 安元三年(=治承元年、1177) 5月29日~6月1日、後白河院の近臣である 西光(藤原師光)・藤原成親 らが清盛によって捕縛され、処刑されるという事件が起こります。 ※成親は、重盛の助命嘆願によって流罪とされたが、後に配流先で処刑。 『平家物語』 では、近衛大将就任を望んでいた 成親 が、 宗盛 に先を越されたことに不満を抱き、 西光 や 俊寛 などの院の近臣とともに、平家打倒の謀議を重ねていたところ、同席していた 多田行綱 が清盛に密告した為この計画が発覚したと描かれています。 (いわゆる 『鹿ケ谷の陰謀』 です。) 独立した事件のように描かれる鹿ケ谷事件ですが、この事態に至るには背景があり、 前年の安元二年(1176)年、加賀守 藤原師高 ・目代 師経 (いずれも西光の子)と、白山(延暦寺末寺)との間に起きた紛争に端を発します。 (この話、めちゃくちゃ長くなります。読み飛ばしていただいてもいいですよ~) 師経が白山の所領を焼き払ったことに対し、 延暦寺 は、朝廷に師高師経兄弟の処分を求めました。 後白河院が 師経 の配流でだけで処分しようとしたため、それでは収まらない延暦寺は、4月13日、 師高 の処分を求めて 強訴 を起こします。 この時、高倉天皇の閑院内裏を守護していた 重盛 の軍勢が放った矢が、神輿に命中してしまい、さらに大きな騒動なります。 14日、延暦寺大衆が再度強訴を行うことを通告してきたため、師高の配流と神輿を射た武士たちを禁獄することで、院と比叡山は一旦は和解しました。 ところが、5月4日、師高師経兄弟の父である 西光 の讒言もあって後白河院は、突如、強訴の首謀者として 天台座主明雲 を解任し、21日、伊豆国への配流を決定します。 ところが、道中には延暦寺の大衆が待ち構えており、明雲を奪い返してしまいま
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【平維盛の生涯】
■1【一四歳】武器は作法と己の美貌!|玉葉
■2【一八歳】美しすぎる青海波舞!|平家物語
■3【一九歳】唯一の弱点?|建礼門院右京大夫集
■4【二一歳】無文の太刀と重盛の病|平家物語
■5【二一歳】熊野詣と重盛の他界|平家物語
■6【二二歳】以仁王の挙兵|玉葉
■7【二二歳】富士川の戦い-前|山槐記・玉葉
■8【二二歳】富士川の戦い-中|山槐記・玉葉
■9【二二歳】富士川の戦い-後|山槐記・玉葉
■10【二二歳】近江の戦い|玉葉
■11【二三歳】墨俣川の戦い|玉葉・吉記
■12【二五歳】倶利伽羅峠の戦い-前|平家物語
■13【二五歳】倶利伽羅峠の戦い-後|源平盛衰記
■14【二五歳】篠原の戦いと山門連署|平家物語
■15【二五歳】最後の京都防衛戦線|吉記
■16【二五歳】都落ち[資盛と後白河院]|愚管抄
■17【二五歳】都落ち[忠清と貞能]|平家物語
■18【二五歳】都落ち[維盛と新大納言]|平家物語
■19【二五歳】福原落ち-前編|平家物語
■20【二五歳】福原落ち-後編|平家物語
■21【二五歳】大宰府、月夜の歌会|平家物語
■22【二五歳】大宰府落ち-前編|平家物語
■23【二五歳】大宰府落ち-後編|平家物語
■24【二五歳】貞能の離脱|吾妻鏡
■25【二五歳】水島の戦い|源平盛衰記
■26【二六歳】木曽義仲との和平交渉|玉葉
■27【二六歳】福原奪還と維盛の病|平家物語
■28【二六歳】三草山の戦い-前編|平家物語
■29【二六歳】三草山の戦い-後編|平家物語
■30【二六歳】一の谷の戦い(1)|平家物語