大宰府落ち(後編) 平清経の入水【平維盛まんが23】 『平家物語』
緒方惟義の襲撃を前に、平家は大宰府を落ちて柳浦へ。行く末に絶望した小松家三男・平清経は、月の冴えた夜に…。 <『平家物語』巻八より> 次回につづきます! ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・大宰府構想の頓挫 ・大宰府落ち ・平清経 ・清経の入水 ・『源平盛衰記』の戦死説&清経の生存説 ・どうする、資盛? 登場人物 平資盛 たいらのすけもり 平清盛の長男[重盛]の次男。維盛の弟。 平清経 たいらのきよつね 平清盛の長男[重盛]の三男。維盛の弟。 平有盛 たいらのありもり 平清盛の長男[重盛]の四男。維盛の弟。 大宰府構想の頓挫 『平家物語』は、はるばる大宰府まで追いやられた平家をひたすら哀れに描くのですが、 都を落ちた場合に大宰府を拠点とするのは、当初からの既定路線だったと言われています。 ただそれは、後白河院や摂政・藤原基通を伴って、平家の正統性が保たれていれば、の話。 九州の情勢が思うようにはいかなかったからなのか、 寿永2年9月(日付は不明)、 宗盛 は後白河院に、恭順の意を示した手紙を送っています。 而去九月之比、前内大臣上書於法皇、其状曰、於臣全無奉背君之意、事出不図、周章之間、於旧主者且為遁当時之乱、奉具蒙塵外土了。然而此上事、偏可任勅定云々、 去る九月の頃、前内大臣(宗盛)が書を法皇に送った。その内容は、「 私には全く院に背き奉る意思はありません。 (都落ちのことは)思いもかけず急なことだったので、当時の戦乱を避けるため、帝を都の外へお連れ奉りました。けれどもこの上は、ひとえに勅諚に従います。」 (『玉葉』寿永二年十一月十四日条) 8月に備前児島で、時忠が院宣を拒否する手紙を送った時と比べたら、トーンダウンしていますね。(内乱の間、宗盛は必ずしも抗戦するつもりだったわけではないことが伺えます) とはいえ実際には、この後も神器返還は行われていません。 この後、平家は重衡を中心として、義仲、行家の軍に連勝し勢力を盛り返していきます。平家が再び都を奪還する可能性も、まだ残されていました。 大宰府落ち 『平家物語』巻八は、緒方惟義の襲撃を前に、大宰府を棄てて東へと逃げ