美しすぎる青海波舞!【平維盛まんが 2】光源氏と呼ばれた理由『平家物語』

安元二年三月。法住寺殿にて、後白河法皇の五十歳を祝う賀宴が催されました。 優れているのは武力だけではない、優美な平家の姿を知らしめるチャンス!そこで、維盛に与えられた役目とは・・・ <『平家物語』巻十より> ※漫画はえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・後白河法皇、五十の御賀(18歳) ・美しすぎる青海波舞! ・小松家兄弟の明暗 登場人物 平維盛 たいらのこれもり 平清盛の長男[重盛]の長男。中宮権亮(右近衛権少将兼任) 平重盛 たいらのしげもり 平清盛の長男。維盛の父。大納言(右近衛大将兼任) 後白河法皇、五十の御賀(維盛18歳) 安元二年(1176)3月、 後白河法皇 の五十歳を祝う賀宴が 法住寺殿 にて行われました。 といっても、ただのパーティーではありません。 二カ月も前から入念に準備された国家級の一大イベントで、宴は3月4日~6日の3日間にも及びました。 高倉天皇 ・ 中宮徳子 ・ 上西門院 (後白河院の姉)も列席。 実行責任者は、前回登場した 藤原隆季 で、平家も総勢で御賀を盛り立てました。 結果、御賀は大盛況に終わり、後白河院からは平家に対し、 「殊にすぐれたる事おほし、朝家の御かざりと見ゆる」 との謝辞がありました。これを受けて、清盛が返礼に黄金百両を送っています。 平家と後白河院の蜜月時代 の象徴のような、盛大で華やかな宴。 その場にいた誰もが、こんな時代がいつまでも続くと思ったかもしれません。 ところが・・・ この直後、安元二年7月8日、後白河院の寵妃・ 建春門院(平滋子) が、35歳の若さで崩御。 後白河院と平家の折衝役だった 建春門院 の崩御により、内包されていた両者の対立が、次第に顕在化していくことになります。 この一年後には鹿ケ谷事件が起こり、平家と後白河院は決裂へと向かっていくのです。 美しすぎる青海波舞! 安元の御賀の三日目に披露されたのが、 平維盛 、 藤原成宗 による 青海波舞 です。 このときの維盛の美しさを、『平家物語』は、こう語ります。 其外三位中将知盛、頭中将重衡以下一門の人々、今日を晴とときめき給ひて、垣代に立ち給ひし中より、此三位中将、桜の花をかざして青海波を舞うて...